テレコラ、今日も書いてます。注)独断と偏見で、ドラマレビュー等からドラマをレビューしたブログ紹介等になることがあります。

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2007年後半目次


「今日のテーマはこちらです。」

ちいさん、大きなボウリングのピンの後ろに立っています。

「そう!」

グルグルグル。。。スートーン!ブルバラボーン!

「ボウリングです。」


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「昭和の風景を求めて ボウリングブーム」

昭和40年代、空前のブームを巻き起こしたボウリング。折りしも時代は高度経済成長期。豊かさの象徴としてレジャーという言葉に感心が集まった当時。ボウリングはその代表的な存在として、日本中を巻き込む巨大なムーブメントを引き起こしました。

ここで、昭和41年8月21日放送「レディスチャレンジボウル」の映像が流れます。そして、生まれた大スター。

場面は第10フレーム、中山律子選手、第一投・第二投がストライクで終り、第三投のシーンです。

(アナウンサー)パーフェクト、一号なるか!

中山選手、投げます。


ボカーン!

ストライク!


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ボウリングブームの立役者が語る昭和とは?

(中山さん)日本でもボウリングっていうブームをですねー、あたくしなんかがこう、起こしたんじゃなくて、もう、周りの日本中がもう、ボウリングしたいっていう気持ちになりまして、で、そういう風にいっしょに乗っかっちゃったみたいな感じだと思うんですよ。

楽しむレジャーとして、そして、見るスポーツとして、多くの人の熱狂に支えられたボウリング。今日はそんな昭和のボウリングブームを訪ねます。その歴史を紐解くためにちいさんが向かったのは、吉祥寺にあるボウリング場(東京ボウリングセンター)。

「こちらにちょっと、行ってみようと思います。」

昭和27年に開業した日本発の民間ボウリング場。東京ボウリングセンター。かつては青山にありましたが、昭和62年、この地(吉祥寺)へと移転してきました。迎えてくれたのは、東京ボウリングセンター開場当時の副支配人だった、島森久好(開場当時23歳)さん。戦後間もない昭和23年から今日に至るまでボウリングに関わり続けている島森さんは、まさに、この世界の生き字引的存在。(島森さんは、横浜の米軍小湊基地内のボウリング場でボウリングに初めて出会ったそうです。)

<東京ボウリングセンター関連ページ>
kissport//TOP


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(ちいさん)島森さんにちょっと、教えていただきたいものがあるんで、
(島森さん)はい!

ちいさん、階段を下りながら島森さんに、もう質問です。

(ちいさん)これは、何ですか?これは。

錆びた鉄パイプが組まれていますが、そこに、ボウリングのピンが乗せてあります。

(島森さん)この機械はですねー。こう10本立ってますね。
(ちいさん)はいはいはいはい!
(島森さん)この10本立ってるピンが、
(ちいさん)下にある黒い丸んとこにピンが立つわけですね。
(島森さん)はい、そうです。はいはい。これが、ボールで倒れますねー。
(ちいさん)倒れますねー、バラバラになりますねー。ええ。
(島森さん)倒れますねー。倒れたピンを手でもって、
(ちいさん)手動ですか?
(島森さん)手動です。
(ちいさん)ここにピンを置くんですか?
(島森さん)ええ、そうです。

こちらは、手動式ピンセッター。手動式によって行われるボウリングのピン立て機です。

(島森さん)ピンボーイというね、ピンを立てるねー、人間が、こう、座ってねー、
(ちいさん)座って待ってるわけですか!
(島森さん)座って待ってるわけですよ。
(ちいさん)と、いうことは当時、ピンボーイという商売があったわけですか?
(島森さん)そうそう、す。あたしも、その、
(ちいさん)ピンボーイやってらっしゃったんですか?
(島森さん)そうです。

<手動式ピンセッター関連ページ>
まぼろしチャンネル//TOP
ゾーンのページ//TOP
↑手動式ピンセッターの写真は、ページ真ん中辺です。

江戸時代末には、日本に伝わっていたというボウリング。しかし、一般の日本人が知ることもなく、ボウリングは一部の外国人が楽しむものでしかありませんでした。(江戸時代末期に長崎出島近くの外国人居留地に、最初のボウリング場がオープンしました。資料写真が出ていましたが、そこには、嗚呼棒輪具と書いてありました。)


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その歴史は戦後までに続きました。ところが、進駐軍の基地の中に、相次いで建設されたボウリング場で、日本人が雇われ始めたことで、日本のボウリングは大きな転換期を迎えることになります。(駐留米軍基地内に、兵士やその家族のレジャー施設として、ボウリング場が建設されました。)


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<ボウリングの歴史関連ページ>
世界//日本//TOP(いきいき健康ボウリング)
社団法人日本ボウリング協会//TOP

ピンボーイとして働いていたという島森さんも、その一人。初めて見るスポーツに魅入られて行ったと言います。(ボウリング場は全て手動式設備だったため、若い日本人のピンボーイが大活躍しました。)

さて、ちいさんと島森さんは、ボウリングのレーンがある階へとやってきました。周囲からは、ピンの倒される音がしてきます。

(ちいさん)どう思いました?最初に見たとき。これは、面白そうなもんだなー、とか、何でこれが面白いのか?どっちでした?
(島森久好さん、78歳)見ているうちに、これはね、日本人に向くスポーツだな!と、思いましたね。
(ちいさん)どうして?
(島森さん)日本人は腰が低くて、それで足が短いですから、案外ととにかく、何っていうんですか?コントロールが、
(ちいさん)そうか!安定してんじゃないかと。
(島森さん)そうそうそう。
(ちいさん)高いところから行くより低いところから行った方が、安定感がいいんじゃないかと思われた!
(島森さん)そうそうそう。

<ピンボーイ関連ページ>
すみ光保のボウリングエッセイ

↓底上げ靴↓


夢・通販館

進駐軍のレジャーとしてますます活況を呈して行ったボウリング。(日本各地の駐留米軍基地内にボウリング場が、20数ヶ所建設され、合計400レーンにも及びました。)これを見た人々の間で、日本人向けのボウリング場の建設の機運が高まって行きました。

そして、昭和27年、民間初のボウリング場、東京ボウリングセンター(東京・青山)が誕生しました。コーラやホットドックが売られる、アメリカさながらの雰囲気。(会員制のボウリング場)


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しかし、それを味わえたのは一部の人々。公務員の初任給が7650円だった当時、個人の年会費が3万円(個人3万円、法人5万円)という会員制のボウリング場は、まだまだ、庶民には手の届かない夢の世界でした。(番組で紹介されていた当時のボウリング場の風景ですが、多くの男性の着ている服はスーツになっています。)


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(島森さん)お金持ちの人、有名な人、それから、タレントの人とか、こういう人たちしかできなかった。だから、我々一般の人間は、ただ、指をくわえて、

島森さん、ほんとにくわえてます。

(ちいさん)あー、いいなーとか、こんなことやってみたいなー、とか。
(島森さん)いいなー、とか、やりたいなー

昭和31年、一ゲーム150円の値段設定に変更されると、そこは大勢の人で溢れ返りました。(昭和31年に一般に開放されました。)そして、ブームは瞬く間に全国へと拡大。ボウリングは庶民のレジャーへと姿を変えたのです。(昭和34年までボウリング場は1センターだけでしたが、10年後、998センターまでになりました。)


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「中山律子さんが語る!ボウリングブームとは!?」

そして、時代を担うスターが誕生しました。女子プロボウラーとして、日本初のパーフェクトゲームを達成した、中山律子さん。(昭和41年8月21日)現在、日本プロボウリング協会の会長を務める、「さわやか律子さん」。ボウリングブームの絶頂期を象徴する存在であり、昭和を代表するスターの一人。

中山律子(日本プロボウリング協会会長)---昭和44年に合格した女子プロ第1期生。「さわやか律子さん」の愛称で親しまれました。


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ボウリングブームを象徴するエピソードは?

(中山さん)いやーもうとにかく、ボウリング場に行きますと、もう、すごくこういうこのぐらいのね、色紙がもう、いくつも置いてあるわけですよ。。。サインをして、で、手もがたがたに疲れてね、で、それでまた投げますでしょ。だからそういう面ではかなり、ちょっとね、腕の方苦労しましたけどね。

空前のボウリングブームを牽引したのは、中山律子さんを始めとした、須田開代子さん、並木恵美子さんら、女子プロ第一期生。その姿をテレビでは見ない日はないほどの人気でした。(ボウリング関連番組は週に7本放送され、各地のボウリング場には人が溢れました。)

<須田開代子さん関連ページ>
童心に帰って//TOP
<並木恵美子さん関連ページ>
プロボウラー並木惠美子オフィシャルサイト

(中山さん)いや、全く想像もつかなかったわけですよ。

なぜ、ボウリングブームが到来したのか?

(中山さん)やっぱりー、こう、時代でしょうねー。そういうボウリングは日本の全国、日本でもボウリングっていうブームをですねー、あたくしなんかがこう、起こしたんじゃなくて、もう、周りの日本中がもう、ボウリングしたいっていう気持ちになりまして、で、そういう風にいっしょに乗っかっちゃったみたいな感じだと思うんですよ。ですから、ほんとに、新しいスポーツとしてみんな珍しくて、早くボウリングしたいなっていう気持ちがみなさん、もう日本人にたくさんあったんじゃないかなと、思うんですよねー。


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「昭和の風景を求めて ボウリングブーム」

見るだけでなく、自分でも楽しめる新しいスポーツ。ボウリングは昭和のレジャーの王様でした。

ここでちいさん、ボウリングをやっている熟年世代のおかあさん達に、いろいろお話を聞いてみることにしました。

(ちいさん)まさしくお見受けしました昭和を一生懸命、青春時代を過ごされた。。。当時、ボウリングなさってました?
(Aさん)はいしてました。もちろん。
(ちいさん)してました?
(Bさん)してました。青山にあって。。。
(ちいさん)青山に。。。どういうきっかけで、こういう。。。
(Cさん)やりだしたら、面白いからー、結局は無理しても時間作ってやりましたねー。
(ちいさん)どうでした?
(Dさん)あたしなんかは、幼稚園のおかあさん方がまとまって、子供を幼稚園に送り込んで、お迎えまでの時間を遊びに。。。
(ちいさん)ボウリングで!
(Dさん)はい!。。。たまたま、青山が近かったもんですから、
(ちいさん)何でボウリングって、こんなに、みなさんに、
(Aさん)そうですねー、女性は手近にできるからじゃないですか?
(ちいさん)手近にできる。
(Aさん)ええ。1時間、2時間でできるし、遠くへ行かなくても近くのボウリング場へ行けばできます。


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さて、お話は中山さんに戻ります。

中山律子さんにとってボウリングとは。

(中山さん)今はすごくボウリング仲間がいるっていうことはね、すごくなんかこう、人生の中でも一番ね、こう、うれしーなーって。。。ほんとに、あの時代に、時代でボウリングが出来て良かったなーって、今は思いますね。

<中山律子さん関連ページ>
You Tube

昭和のボウリングを見続けてきた、島森さんにとってのボウリングブームとは?

(ちいさん)ようやく高度成長になって、ようやく世の中も安定してきて、いろんなものが手に入るようになってきたときに、ボウリングそのものがバッとヒットして、火がついたようになったのは、何かこれが我々の、当時我々の心を揺さぶる何かがあったんじゃないかと僕は思うんですよ。
(島森さん)うん。
(ちいさん)何かこう何か、投げて倒すとかっていうのは、どっか精神的にこのやりたい、いわゆる解放されますよね、これやっていい気持ちになりますよねー。パーンとストライクが出たりすると、そういうことがやっぱり日本人の中でも、こう、あったんでしょうかねー、そう、当時は。
(島森さん)。。。それと、誰でもね、できうるスポーツであるということ。
(ちいさん)それはあるでしょうねー。それがやっぱりボウリングが、今でもずーっと愛され続けて、愛されてきた、こう、なんか一番底辺にあるのはそういうことでしょうかねー。
(島森さん)そうですね!

空前のブームはオイルショックを機に収束へと向かいます。どの街にもあったボウリング場は次々と姿を消して行きました。(昭和47年の3697センターをピークに、減少に転じ、3年後には879センターになりました。)

しかし、その魅力は尽きることはありません。昭和に登場したレジャーという言葉の代名詞は今もまだ、ボウリングなのです。(余暇を楽しむスポーツの参加人口は、ボウリングがトップの3200万人いるとされています。「レジャー白書2006」より。)

「戦後のやっとこう、みなさんの中に余裕がやっとでてきたころになって、ボウリングというものがこう登場して、みんがここで同僚だったり、家族だったり、みんなでこう楽しめることというのは、とっても当時喜ばれたんじゃないですかねー。そういうのは時代背景にはやっとこうでてきた時代だったんではないかなーとは思えるような、ボウリングのことを思い出した今日一日でした。」

気軽に楽しめたレジャーの王様、ボウリング。あなたも昭和の風景を探しに出かけてみませんか?

<レジャー白書関連ページ>
jarba//TOP


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