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↑美容と健康のサプリ情報館のリポートです。
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2007年後半目次
<表参道関連ページ>
e-まちタウン//TOP
たくさんの人と出会いながら、たくさんおいしいものをいただきながら、ちいさん、いよいよ、東照宮(日光東照宮)の表参道に。
「なんか今日は丁度、ここではよさこい祭りをやってるようで、賑やかですよねー。」
土佐郷ネットショップ//CD&DVD NEOWING//京のきもの屋京都まるなか
ちいさんの背後からは大音量で、お祭りの歌が流れてきます。
「ほんとに、何年ぶりに来たけど、素敵だねー。」
ちいさん、入り口にある鳥居のところまでやってきました。緑の中にすっくと立つ鳥居をちいさん見上げています。
「こんにちはー。高校生以上です。じゃー、これでお願いします。」
受付にいる巫女のかっこうをした若い女の子の笑顔が素敵です。大人(高校生以上)1300円です。
「こんちはー!」
受付を出て後、仁王門(表門)をくぐると、ここでもちいさん、声を掛けられていました。しかし、この仁王門の装飾も素晴らしいですね。
<表門関連ページ>
フォト蔵//TOP
写真素材館//TOP

LUCKY PINKY
さて、ちいさんは神厩舎のところまでやってきました。
高校生の時以来、数十年ぶりに東照宮を訪れたちいさん。その時最も印象に残ったのが、この神厩舎の猿の像だったそうです。神厩舎とは、神に仕える駿馬という馬が飼育されている場所です。
カメラさんが裏手に回ると、当日も、かっこの良い白馬が、この神厩舎に入って行きました。
馬の小屋に何故、猿なのか?それは、昔から、馬の病気は猿が治すと言い伝えられて来たため。しかも、ここには八面もの猿の彫刻があります。その内容は猿の一生を描きながら、人の生きかたを伝えるというもの。(三猿−−−「見ざる・言わざる・聞かざる」で知られています。)
「やっぱり、何十年ぶりに見ると、この彫刻もまた、違うもんだねー。若い頃こういうのを見ても何とも思わなかったけどなー。ハハハ!今、見ると、なんか、ここだけで今日いちんち終わってもいいような気がするぐらい重いよなー。すごい、お金もかかたろうなー。これ!」
<神厩舎関連ページ>
写真素材館
(社)日光観光協会//TOP
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東証大権現とはこの地に祀られた徳川家康(1543〜1616)のこと。家康は江戸のほぼ真北にあるこの地から、国の守護神となることを望み、日光に葬るよう遺言を残しました。一年後、二代将軍秀忠は、小さな社殿を作りましたが、二十年後、寛永の大造営(寛永13年”1636”)という建替え工事が行われます。実行したのは、家康を敬愛した三代将軍、家光(1604〜1651)。家光はこの時、わずか1年5ヶ月の工期に、延べ450万人、現在に換算して400億円の資金を投入したといわれます。社殿は絢爛豪華な東照宮に生まれ変わりました。
<徳川家康関連ページ>
ウィキペディア
<徳川秀忠関連ページ>
筑土神社//TOP
ウィキペディア
「こういうのは、ほんと、すごいなー。これは、今だったらボコンと作れちゃったりするもの、方法はあるのかもしれないけど、これ、一つ一つこう、人間が彫って作ったりしたんだろ、これ。この孔雀、これもきっとなんか物語になってるんだろうねー。誰がこれ考えたんだろうねー。」
ちいさんが見ているのは、東西廻廊にある一刀彫の彫刻群です。鴨や孔雀のレリーフが見事でした。
<東西廻廊関連ページ>
写真素材館(その1)//(その2)
(ちいさん)これだけのものを作るとしたらば、誰か企画者がいてね、こういうものは安置するとか、こういうものは彫り物にするとかっていうのは、誰かいたんですかねー。
(権禰宜:五十嵐進さん)やっぱり、当時の天海僧正とかですね、狩野探幽とかですねー、そういう、まー、超一流の方々の、この企画なんじゃないかと思うんですねー。はい。
禰宜(ねぎ)というのは、神社に奉職する神職の職階(職名・職称)の一つで、宮司・権宮司の下に置かれるものです。この禰宜の下に権禰宜(ごんねぎ)が置かれています。
(五十嵐さん)この陽明門、国宝ですけども、ここに何故子供の彫刻が彫られているかっていうと、やはり家康公は子供を大事にできない国は滅びるんだと。子供を大事して、国の宝だという意思があって、こういうものを、後世の人たちのメッセージとして残してるんじゃないかなと思うんですねー。
<陽明門関連ページ>
写真素材館

フロムハンド
歴代将軍から信頼が厚かった天海僧正。そして、御用絵師であった狩野探幽。そこに幕府の意向も加わり、彫刻には様々な意味が込められました。例えば、この「眠り猫(奥社参道入り口、左甚五郎の作とも伝えられる。)」。実はこの猫の裏には、雀の彫刻があります。猫が起きていれば雀は食われてしまうが、東照宮では猫も居眠りし、雀と共存共栄。家康の天下統一により戦乱が収まり、平和な時代がやってきたことを、表しているといいます。
(ちいさん)でも、まー、そういう深いいろんな意味があるんだなー、というのをこの年になってやっぱり、日光の東照宮へ来ると、いろんな、今まで若い時には思わなかった感じなかったことを、もうちょっと探ってみたいなっていうような思いにかられることは事実ですねー。
<天海僧正関連ページ>
埼玉の歴史散歩//TOP
<狩野探幽関連ページ>
静岡県立美術館//TOP
東京藝術大学美術館//TOP
<眠り猫・雀関連ページ>
てくてく歩記
鎌倉山古美術白沙堂//ilm(ファッション流行雑貨)//カグー楽天市場店
ちいさんは、陽明門をくぐります。陽明門を抜けると、そこには、国宝の唐門が。ちいさんここでも何か発見したようです。
「何となく、鳥の頭なんかがこう、色が剥げて来たり、ほこりがこう積もったりしてますよねー、そうするとこのままにしておくと、痛んでしまうでしょうから、修復する必要があんでしょうねー、今、ちょうど今、これは向こう側から、修復してる、修理してるんでしょうけど、塗料やなんか、飛ばないようにこういうに、ガードしてるわけだけだけど、こういうことをしないと、やっぱりだめですよねー。当然。
東照宮の奥殿では、現在修復作業中なのですが、塗料などが飛ばないように、彫刻のある場所をお店のショーウィンドーのようなケースで囲って作業がなされています。
<唐門関連ページ>
写真素材館
江戸時代初期。17世紀の技術の推移を集めた東照宮。現在、その修復はどのように行われているのでしょう。
「おじゃましまーす。」
作業場では、欄間の彫刻をはずし、絵柄を写しとっている最中でした。彫刻の全ての塗料を落とし、金箔を張替え、新たに彩色を施すとのこと。精密な修復を施すには膨大な時間とお金、何より高い技術が必要だそうです。
ちいさん、この修復を手がけている澤田了司(日光社寺文化財保存会彩色技術主任)さんにお話をうかがいました。まずは、澤田さん、大きなものの上にかかっていた紙のカバーをはずしました。
(ちいさん)うぁーーー!
(澤田さん)こういう状態今!
それは、一部、カモのところが黒いですが、ほぼ全面、金ピカの彫刻です。
(ちいさん)はーー!これが金箔が、
(澤田さん)はい。。。
(ちいさん)上に塗ってあるわけだね。塗ってって被せてあるわけ。
(澤田さん)張った。
(ちいさん)張ってあるわけだねー。
(澤田さん)で、この上にまた、色を乗せて行くわけです。
(ちいさん)色って、こんだ、このカモだかなんだか。
(澤田さん)この(金箔で張ったところの)上にも・・・。
(ちいさん)この上にも乗っけるの?
(澤田さん)はい。
(ちいさん)あー、そかー、ブルーとかー。
(澤田さん)だから、半分以上か、隠れてしまう。色で。
(ちいさん)何で隠れてしまうところまで、金箔使うの?高いんだよ。金箔。
(澤田さん)( ̄◇ ̄) σわかってます。
ハハハハハ!
(澤田さん)仮にね、色が落ちたとするでしょ?落ちても金のところが落ちるんです。後のところが残るんです。後から出てくるわけです。木目の姿をさらさないんです。
(ちいさん)あーー、そかー。何でそんなことを考えたんだ!
(澤田さん)剥落したことを考えてやってるわけですよねー。
(ちいさん)すごいねー。
(澤田さん)多分、東照宮しかないと思うんですよ。その発想は。
(ちいさん)あ、そうですか。すごいよほんとにー。いいセンスだねー、このくちばしんとこが赤くて、ピンクんなってて。
(澤田さん)わたしのセンスなんですよ。江戸時代の人のセンスなんです。わたしは、それを踏襲してるだけなんで。すごいでしょ?
(ちいさん)すごいですよねー。
修復作業は50年に一度のペース。膨大な時間をかけて行うため、全体の修復が終わった頃には、50年前に修復した場所をまた、と、いう終わりない作業に。
<澤田了司さん関連ページ>
彫刻士と東照宮
↑澤田さん関連のものは、下の方の写真のようです。
(財)日光社寺文化財保存会
↑澤田さんの作品は、写真の中のどれかです。(詳細は分かりませんでした。)

金沢の金箔専門店 箔座
東照宮の中をじっくりと回ってきたちいさん、いよいよ、家康が眠る奥社へ。
「あーいいですよねー、この石。」
ちいさん、石の階段を上がって行きます。すごく長い階段のようです。
ちいさんが、高校生の頃は参拝が許されていなかった、徳川家康の墓所のある奥社。拝殿(奥社拝殿)は建物全体を真鍮や銅の板で覆い、黒い漆を塗った重厚な作りです。そして、奥社の後ろには家康の棺が納められている宝塔(奥社宝塔)が。ただし、建立以来、一度も開けられたことはありません。この日は家康が国の宝と言った子供たちの姿もありました。

手拭い 染の安坊
(ちいさん)どこかた来たんですか?今日は。
(子供たち)あずみ台小学校。
(ちいさん)どこですか?あずみ台小学校は。
(子供たち)千葉県の船橋市。
(ちいさん)船橋市ですか?わたしも千葉県なんですよ。生まれが。
子供たちは、三人とも、黄色いバンダナを頭に巻いています。
(ちいさん)君たちぐらいの時にここに来たの、もうちょっと上だったけど、来たのは。その頃見た日光と、今この年になってみると、全然違う日光に思えるの。それは50年後の楽しみだねー。また、50年ぐらいしたら、来たら、きっと、いろんなこと思うよー。
「いろんなものが目に入ったり、聞こえてきたり、この胸にグサッと来るようなものを、感じましたねー、見ざる・聞かざる・言わざるじゃなくて、見ましょう・聞きましょう・話しましょうって感じですねー。ここへ来てそんなものを感じました。はい。」
高校の時以来の日光東照宮を奥社まで回り切ったちいさん、そして、今日は東照宮の社務所近くからさらに別の道を散歩する計画が。ちいさん、どんなところを歩くつもりなんでしょうねー。
<奥社拝殿関連ページ>
写真素材館
<奥社宝塔関連ページ>
栃木総合教育センター//TOP
ちなみに、徳川家光が今の本殿と拝殿を造営したのですが、それ以前に、徳川秀忠が家康の遺言により、質素な本殿と拝殿を建立していました。家光はこの以前の奥社を、現在の太田市に移築しています。これが世良田東照宮と呼ばれるものです。
<世良田東照宮>
気ままにそぞろ歩き//TOP
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(その1)//(その2)//(その4)
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ちいさんの背後からは大音量で、お祭りの歌が流れてきます。
「ほんとに、何年ぶりに来たけど、素敵だねー。」
ちいさん、入り口にある鳥居のところまでやってきました。緑の中にすっくと立つ鳥居をちいさん見上げています。
「こんにちはー。高校生以上です。じゃー、これでお願いします。」
受付にいる巫女のかっこうをした若い女の子の笑顔が素敵です。大人(高校生以上)1300円です。
「こんちはー!」
受付を出て後、仁王門(表門)をくぐると、ここでもちいさん、声を掛けられていました。しかし、この仁王門の装飾も素晴らしいですね。
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さて、ちいさんは神厩舎のところまでやってきました。
高校生の時以来、数十年ぶりに東照宮を訪れたちいさん。その時最も印象に残ったのが、この神厩舎の猿の像だったそうです。神厩舎とは、神に仕える駿馬という馬が飼育されている場所です。
カメラさんが裏手に回ると、当日も、かっこの良い白馬が、この神厩舎に入って行きました。
馬の小屋に何故、猿なのか?それは、昔から、馬の病気は猿が治すと言い伝えられて来たため。しかも、ここには八面もの猿の彫刻があります。その内容は猿の一生を描きながら、人の生きかたを伝えるというもの。(三猿−−−「見ざる・言わざる・聞かざる」で知られています。)
「やっぱり、何十年ぶりに見ると、この彫刻もまた、違うもんだねー。若い頃こういうのを見ても何とも思わなかったけどなー。ハハハ!今、見ると、なんか、ここだけで今日いちんち終わってもいいような気がするぐらい重いよなー。すごい、お金もかかたろうなー。これ!」
<神厩舎関連ページ>
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東証大権現とはこの地に祀られた徳川家康(1543〜1616)のこと。家康は江戸のほぼ真北にあるこの地から、国の守護神となることを望み、日光に葬るよう遺言を残しました。一年後、二代将軍秀忠は、小さな社殿を作りましたが、二十年後、寛永の大造営(寛永13年”1636”)という建替え工事が行われます。実行したのは、家康を敬愛した三代将軍、家光(1604〜1651)。家光はこの時、わずか1年5ヶ月の工期に、延べ450万人、現在に換算して400億円の資金を投入したといわれます。社殿は絢爛豪華な東照宮に生まれ変わりました。
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「こういうのは、ほんと、すごいなー。これは、今だったらボコンと作れちゃったりするもの、方法はあるのかもしれないけど、これ、一つ一つこう、人間が彫って作ったりしたんだろ、これ。この孔雀、これもきっとなんか物語になってるんだろうねー。誰がこれ考えたんだろうねー。」
ちいさんが見ているのは、東西廻廊にある一刀彫の彫刻群です。鴨や孔雀のレリーフが見事でした。
<東西廻廊関連ページ>
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(ちいさん)これだけのものを作るとしたらば、誰か企画者がいてね、こういうものは安置するとか、こういうものは彫り物にするとかっていうのは、誰かいたんですかねー。
(権禰宜:五十嵐進さん)やっぱり、当時の天海僧正とかですね、狩野探幽とかですねー、そういう、まー、超一流の方々の、この企画なんじゃないかと思うんですねー。はい。
禰宜(ねぎ)というのは、神社に奉職する神職の職階(職名・職称)の一つで、宮司・権宮司の下に置かれるものです。この禰宜の下に権禰宜(ごんねぎ)が置かれています。
(五十嵐さん)この陽明門、国宝ですけども、ここに何故子供の彫刻が彫られているかっていうと、やはり家康公は子供を大事にできない国は滅びるんだと。子供を大事して、国の宝だという意思があって、こういうものを、後世の人たちのメッセージとして残してるんじゃないかなと思うんですねー。
<陽明門関連ページ>
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歴代将軍から信頼が厚かった天海僧正。そして、御用絵師であった狩野探幽。そこに幕府の意向も加わり、彫刻には様々な意味が込められました。例えば、この「眠り猫(奥社参道入り口、左甚五郎の作とも伝えられる。)」。実はこの猫の裏には、雀の彫刻があります。猫が起きていれば雀は食われてしまうが、東照宮では猫も居眠りし、雀と共存共栄。家康の天下統一により戦乱が収まり、平和な時代がやってきたことを、表しているといいます。
(ちいさん)でも、まー、そういう深いいろんな意味があるんだなー、というのをこの年になってやっぱり、日光の東照宮へ来ると、いろんな、今まで若い時には思わなかった感じなかったことを、もうちょっと探ってみたいなっていうような思いにかられることは事実ですねー。
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「何となく、鳥の頭なんかがこう、色が剥げて来たり、ほこりがこう積もったりしてますよねー、そうするとこのままにしておくと、痛んでしまうでしょうから、修復する必要があんでしょうねー、今、ちょうど今、これは向こう側から、修復してる、修理してるんでしょうけど、塗料やなんか、飛ばないようにこういうに、ガードしてるわけだけだけど、こういうことをしないと、やっぱりだめですよねー。当然。
東照宮の奥殿では、現在修復作業中なのですが、塗料などが飛ばないように、彫刻のある場所をお店のショーウィンドーのようなケースで囲って作業がなされています。
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江戸時代初期。17世紀の技術の推移を集めた東照宮。現在、その修復はどのように行われているのでしょう。
「おじゃましまーす。」
作業場では、欄間の彫刻をはずし、絵柄を写しとっている最中でした。彫刻の全ての塗料を落とし、金箔を張替え、新たに彩色を施すとのこと。精密な修復を施すには膨大な時間とお金、何より高い技術が必要だそうです。
ちいさん、この修復を手がけている澤田了司(日光社寺文化財保存会彩色技術主任)さんにお話をうかがいました。まずは、澤田さん、大きなものの上にかかっていた紙のカバーをはずしました。
(ちいさん)うぁーーー!
(澤田さん)こういう状態今!
それは、一部、カモのところが黒いですが、ほぼ全面、金ピカの彫刻です。
(ちいさん)はーー!これが金箔が、
(澤田さん)はい。。。
(ちいさん)上に塗ってあるわけだね。塗ってって被せてあるわけ。
(澤田さん)張った。
(ちいさん)張ってあるわけだねー。
(澤田さん)で、この上にまた、色を乗せて行くわけです。
(ちいさん)色って、こんだ、このカモだかなんだか。
(澤田さん)この(金箔で張ったところの)上にも・・・。
(ちいさん)この上にも乗っけるの?
(澤田さん)はい。
(ちいさん)あー、そかー、ブルーとかー。
(澤田さん)だから、半分以上か、隠れてしまう。色で。
(ちいさん)何で隠れてしまうところまで、金箔使うの?高いんだよ。金箔。
(澤田さん)( ̄◇ ̄) σわかってます。
ハハハハハ!
(澤田さん)仮にね、色が落ちたとするでしょ?落ちても金のところが落ちるんです。後のところが残るんです。後から出てくるわけです。木目の姿をさらさないんです。
(ちいさん)あーー、そかー。何でそんなことを考えたんだ!
(澤田さん)剥落したことを考えてやってるわけですよねー。
(ちいさん)すごいねー。
(澤田さん)多分、東照宮しかないと思うんですよ。その発想は。
(ちいさん)あ、そうですか。すごいよほんとにー。いいセンスだねー、このくちばしんとこが赤くて、ピンクんなってて。
(澤田さん)わたしのセンスなんですよ。江戸時代の人のセンスなんです。わたしは、それを踏襲してるだけなんで。すごいでしょ?
(ちいさん)すごいですよねー。
修復作業は50年に一度のペース。膨大な時間をかけて行うため、全体の修復が終わった頃には、50年前に修復した場所をまた、と、いう終わりない作業に。
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彫刻士と東照宮
↑澤田さん関連のものは、下の方の写真のようです。
(財)日光社寺文化財保存会
↑澤田さんの作品は、写真の中のどれかです。(詳細は分かりませんでした。)
東照宮の中をじっくりと回ってきたちいさん、いよいよ、家康が眠る奥社へ。
「あーいいですよねー、この石。」
ちいさん、石の階段を上がって行きます。すごく長い階段のようです。
ちいさんが、高校生の頃は参拝が許されていなかった、徳川家康の墓所のある奥社。拝殿(奥社拝殿)は建物全体を真鍮や銅の板で覆い、黒い漆を塗った重厚な作りです。そして、奥社の後ろには家康の棺が納められている宝塔(奥社宝塔)が。ただし、建立以来、一度も開けられたことはありません。この日は家康が国の宝と言った子供たちの姿もありました。
(ちいさん)どこかた来たんですか?今日は。
(子供たち)あずみ台小学校。
(ちいさん)どこですか?あずみ台小学校は。
(子供たち)千葉県の船橋市。
(ちいさん)船橋市ですか?わたしも千葉県なんですよ。生まれが。
子供たちは、三人とも、黄色いバンダナを頭に巻いています。
(ちいさん)君たちぐらいの時にここに来たの、もうちょっと上だったけど、来たのは。その頃見た日光と、今この年になってみると、全然違う日光に思えるの。それは50年後の楽しみだねー。また、50年ぐらいしたら、来たら、きっと、いろんなこと思うよー。
「いろんなものが目に入ったり、聞こえてきたり、この胸にグサッと来るようなものを、感じましたねー、見ざる・聞かざる・言わざるじゃなくて、見ましょう・聞きましょう・話しましょうって感じですねー。ここへ来てそんなものを感じました。はい。」
高校の時以来の日光東照宮を奥社まで回り切ったちいさん、そして、今日は東照宮の社務所近くからさらに別の道を散歩する計画が。ちいさん、どんなところを歩くつもりなんでしょうねー。
<奥社拝殿関連ページ>
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