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2007年後半目次
戦後という一つの時代が終わりを告げた昭和30年代。復興から発展へ大きく変り行く街並みに拡がっていたのは、今の記憶の中に残る懐かしい風景。そこにあったのは、時間を忘れて外で遊んでいた子供たちの姿。
オッ!
(ちいさん)少し思い出してきたよ。
ハハハハハ!
(かつての子供たち)時間かかる!
(ちいさん)時間かかる。ってお前!50年以上やってねんだから。
漬物を入れておいくような入れ物の上に布を張り、その上でベーゴマを回すかつての子供たち。ちいさんもいっしょに、遊びます。

イベント企画
どれだけ時を経ても忘れられない思い出の中で膨らんで行くあの味。
さん!に!いち!
ボカーン!
(ちいさん)いやー、最高楽しい!俺、興奮したよ!なんか。子供の頃に返ったような!ほら。
ちいさん、ポン菓子の爆発に大喜びです。
誰もが心を躍らせたとびっきり贅沢な場所。そこでしか食べられない夢が溢れたメニューに憧れていたあの頃。
(ちいさん)自分で旗を作って、これをこうやってご飯の上に乗せてあげると、食べない子供が食べるって。ハハハハ!
ちいさん、お子様ランチを前に口も軽くなります。
もはや戦後ではない!そんな言葉から始まった昭和30年代。そんな時代の思い出を選りすぐって今日もお届けします。さー昭和を探しに出かけましょう。
「昭和のくらし」
昭和30年代。それはまだ、お茶の間のちゃぶ台を家族で囲んでいた時代。まずはそんな時代のくらしをちいさんが訪ねました。
<昭和のくらし博物館:下丸子>
「これがそうですか!」
ちいさんがやってきたのは、何の変哲もない住宅街。その細い路地を入って行きます。
どこにでもあった一軒屋にどこにでもあったくらしを再現した昭和のくらし博物館。家の作りから置いてあるものまで、もちろん、ちいさんにとっても懐かしいものばかりだったようです。
小泉紀子さんとちいさん。2階へやってきました。
(小泉さん)ここに雨戸が。昔はあるんですよね。
(ちいさん)こういうのは今の人は知らないだろうけど。いいですか?開けて。
(小泉さん)どうぞ。どうぞ。
ちいさん、雨戸を立て始めます。古くなっているせいか、雨戸には隙間が出来ていて、日の光がそこから差し込んできます。
ガタン、スー、スー
(ちいさん)この音がね、夕方の音なんだよ!ほら!こうしてね。
(小泉さん)ちょっと、コツが入るんですよね。
ちいさん、一度、立てた雨戸を今度は戸袋に戻します。
(ちいさん)入りました。ほら!うまいもんでしょ。
(小泉さん)うふふふ。
そして、家族が集うお茶の間には。これが欠かせませんでした。
ちいさん。今度は1階のお茶の間へ降りてきて、小泉さんにお話を伺います。
(ちいさん)このちゃぶ台ですか?
(小泉さん)ええ。ええ。
(ちいさん)これもまた、便利なもんでしたねー。
(小泉さん)そうですねー。
(ちいさん)必要な時には真ん中に出して、みんなでこう団欒っていうか、家族全員で、ここでも5人ぐらい座れるようになって。。。
ちいさんが座っている前にはちゃぶ台があって、そのちゃぶ台の上には、ごはん・豆腐のお味噌汁・焼き魚・沢庵などや醤油や七味とうがらしなどの調味料まで並んでおり、その背後にはタンスがどんと置いてあって、上には古めかしいラジオがあります。また、小泉さんの横には、火鉢まであってその上には鉄瓶のようなものまであって、当時の人がそこにまさに生活しているかのようです。
家族が膝を突き合わせて食事をする風景。ストーブも扇風機もお茶の間にしかなかった時代。団欒は今よりもずっと自然なものでした。
(小泉さん)みんなここ(お茶の間)に、割合と寝るまで、おりましたねー。
(ちいさん)そうですよねー。
(小泉さん)女5人に、父ですよね。だから、すごいおしゃべりはしまして、父はだからいつも聞いてる役で、それで女はいつもしゃべるか、食べるかだっていう風にゆってましたねー。
(ちいさん)ほんとそうでしたよね。お父さんも入りたいけど、話しん中に入れないから、新聞読んでるふりしながら、新聞の方よりもそっちの方に関心があったりしたんですよねー。
(小泉さん)そうかもしれませんねー。
現在、小泉さん家族が実際住んでいた家が、博物館になっているそうですが、あたたかな家族のつながりを話して下さいった小泉さんでした。
アットホーム//OK家具牧場//SANWA shop
ゲットプラス楽天市場店//フジックス
「昭和の子供の遊び」
一方、外では子供同士の世界が拡がっていました。ルールもマナーも遊びの中で覚えて行ったあの頃。創意工夫をこらせば、どんなものでも遊び道具になってしまう。街全体がおもちゃ箱に見えたそんな時代。遊びを求めてちいさんが訪ねたのは?
<昭和の子供遊び:下高井戸>
「こんにちはー。おじゃましまーす。この間はどうもありがとうございましたー。」
ちいさん、花屋さんへやってきました。
<<平成18年12月19日放送下高井戸散歩>>
(ちいさん)これは、ご主人(芹沢政一さん)、ご自分でお書きになったもん?
ちいさん、本のようなものをめくっています。
(ちいさん)いろんな絵があるんですね。
「橋の上の欄干に乗って遊ぶ3人の子供」・「三角のりをしている子供」・「野球をしている子供」・「ベーゴマに興じている子供たち」などの絵がめくるたびに、出てきました。
芹沢さんが趣味で描いているのは、記憶の中の懐かしい風景。そこに登場するのはいかにもワンパクそうな子供達。そんなかつての子供たちといっしょに、懐かしい遊びを楽しんでみることに。(かつての子供たち:柏木精矩さん・岩田堅造さん・高城忠雄さん)
まずは、ベーゴマ。コマ同士をぶつけ合って、弾き飛ばした方が勝ちという男の子遊びの定番でした。
最初に柏木さんが、ベーゴマをする台を作ります。白いプラスティックの漬物を入れておいような入れ物に布を張ります。
(ちいさん)ベーゴマ、懐かしいなー。
(柏木さん)ここにね、ベテランがいるんですよ。
(高城さん)少し出しておいてくれりゃー、良かったのによー。
湿気っているようで、紐がからまってなかなかほどけません。でも楽しそうです。
(ちいさん)そうなんだよなー。少し使ってないと。だんごもできてないじゃん。輪っか作んなきゃダメなんだおー。
( ̄◇ ̄) σ輪っか作んなきゃだめなんだおー。
ちいさんが言う輪っかとは、紐を巻きつけるのに必要な結び目のこと。(紐に2つの輪っかを作り、そこに引っ掛けながら、紐を巻き付けて行くことです。)その結び目のテクニックにもいろいろなテクニックがあるそうなんですが・・・。男の子はないとわかんないですよねー。
では、お手並み拝見と行きましょう。
最初にコマを投げ入れたのは、高城さん。そして、柏木さんが投げ入れます。
ビューン!
(高城さん)あ、やられた!
柏木さんのコマが高城さんのコマを勢い良く弾き飛ばしました。さすがですねー。さて、ちいさんは?
ボテッ!
(ちいさん)ダメだ!
コマが回りません。やり直しです。
(高城さん)おもしろいでしょ。
(ちいさん)おもしれーなー。
もう一度ちいさん!
ビュ!
(ちいさん)少し思い出してきたよ。
よわよわっちいですが、回ることは回っています。
(スタッフ)時間がかかりましたね。
(ちいさん)何十年もやってねー。時間かかってって、お前!50年以上やってねーんだから。
(高城さん)うなりが出るくらい回さなきゃな。
高城さんが再び投げ入れます。鋭く回る高城さんのコマ。そこへちいさんも投げ入れます。
カチン!ゴチン!
(ちいさん)あーーー、なんだよー!
コマがけんかしてます。残念!ちいさんのコマの動きが止まりました。
(高城さん)まだ、回ってるだろ?力入ってるから。
(ちいさん)すごいね!
ちいさん、敗北宣言です。

わくわくショップちゅーりっぷ
続いてはこちらも懐かしいメンコ(番組で紹介されたのは、月形半平太・遠山の金さんなど)。お気に入りのスターやキャラクターが描かれたメンコの取り合いにも熱くなっていたものです。
バシッ!!
(高城さん)いやーもうだめだな。
高城さんがコンクリの地面に叩きつけるように、メンコを打ち込みますが、相手のメンコはピクリともしません。
(高城さん)フッ!ダメだ!
もう一度やりますが、うまく行きません。ちいさんもやってみますが、なかなか、裏返りません。
ベーゴマとは、うって代わって皆さん苦戦しているようです。
(高橋さん)全然力はいんねー。
(ちいさん)ダメだっていいじゃないのよー。何でそんなムキになってんのよー。
(スタッフ)ダメなのが当たり前だよ。
(ちいさん)もう、50年も60年やってないんだから。
こんな風に熱くなっていた子供たちいっぱいいましたよねー。
かーど屋本店楽天市場店//スターキッズ//楽天ブックス
「地井さん思い出の駄菓子」
そして、必ず立ち寄ったのは駄菓子屋さんでした。お小遣いを握りしめながら、何を買うかで悩んでいたものです。そんな駄菓子の中でもちいさんの思い出が詰まっているというのが、こちらのポン菓子。
<ポン菓子製造:西日暮里>
(ちいさん)あー、懐かしい機械。。。ですよねー!ぼくの、ぼく、千葉県なんですけど、ぼくの田舎の方では、ばくだん、って言った・・・。
(社長さん:吉村文明さん、58歳)ばくだんとか、ばくだんあられとか、ですね。
(社長さん)ここに、お米を入れます。これが10倍になるんです。
(ちいさん)5合の米ですね。
(社長さん)5合が1斗になるんですよねー。(5合 = 901.95 ミリリットル、1斗 = 18.03900 リットル)
社長さんがお米を機械に入れて行きます。
このお米を入れた筒状の釜を回転させながら過熱し、釜の中の圧力が高まって行くと?大きな音と伴にお菓子の出来上がり。まるで魔法のような大砲には大人も子供も、皆、夢中になりました。原料はお米。一粒のお米が10倍にも膨れ上がるというのですから、実に不思議なものですよねー。
(ちいさん)僕が子供の頃には、なんか量が増えてうれしいとか。
(社長さん)そうなんですよ。満腹になったり。
(ちいさん)そういう意味合いもあったんですかねー。
(社長さん)いや、ちょうどそのぉー、親父が、中国、戦争が終わって帰ってきたら、日本中が食料難でしょ?。それでもう、満足なものがないんですよねぇー。お菓子なんてとんでもない。そういう時にこういう道具があればー、まー、お腹ペコペコの子供達が救えるっていうか・・・。
お腹も好奇心も満たしてくれたポン菓子。いよいよ完成です。
(社長さん)じゃ、やりますよ。で、カウントダウンするんですよ。子供には。今日は、英語で行こーなーって。ファイブ!フォー!さん!にー!いち!!
( ̄◇ ̄) σあらーっ
て言って最初フェイントかけるんです。で、再度
さん!に!いち!
ボカーン!
(社長さん)どーですか?お米が10倍ですよ。
(一同)おわっーーーー!
(ちいさん)いやー、最高楽しい!俺、興奮したよ!なんか。子供の頃に返ったような!ほら。
ちいさん、ポン菓子の爆発に大喜びです。
ちいさん、できたての一粒のポン菓子を口に入れてみます。
(ちいさん)いやー懐かしいなー。
(社長さん)例えば、ボンとやる時に脅かすんですよねー。
(ちいさん)そうそう。
(社長さん)”足踏ん張っとけよー”と。”飛ばされちゃうぞ!と。
(ちいさん)だから、耳だって必死に抑えましたよ。”耳がつぶれるそー!”なんて言われて、(耳を)グーっと!
耳の穴に指を入れて当時のちいさんの様子を再現して見せてくれました。
そして、出来立てのポン菓子に砂糖をからめれば、懐かしの味に。ちいさんいかがですかぁ?
(社長さん)懐かしいでしょ。
(ちいさん)懐かしいし
。。。
(社長さん)で、今日はいいお米だから。なお更おいしいと思いますよ。
(ちいさん)う〜ん。おいしいし。なんか、ほんとにこう人間の手のあったかーい昭和のいい時代の味です。
2人とも、ポン菓子を食べまくってます。
耳をふさいで完成を待ちわびていた子供たちの夢もいっしょに膨らませてくれるポン菓子。
「できてきたお菓子。ほんとにこう、なんか人間の手を経た、温もりのある柔らかい味のおいしいお菓子でした。」
e-NET・地球人//natural-farming//つなん発おばあちゃんの漬物本舗
「元祖お子様ランチ」
昭和の時代。デパートは特別な存在でした。おもちゃ売り場に屋上遊園地。そこに出かけること自体が一大イベントでもありました。何よりの楽しみは家族揃っての外食。デパートの大食堂はとびきりの贅沢でもありました。
<日本橋三越本店>
ちいさん、日本橋三越のランドマークのウィンドーのところへやってきました。
「あー、今でもいろんな種類があるんだねー。」
たくさんのメニューが展示してあります。
「今はもうこういうレストランって、あまりなくなったじゃないですか?おそば屋さんはおそば屋さんで独立してて、洋食屋さんは洋食屋さんで独立してるみたいなんだけど、一つの食堂にこれだけのメニューがわーっとこうあるっていうのは、あまりないんじゃないのかねー。」
最大で600席あったという三越の大食堂。どんな様子だったのか当時働いていた人に様子を伺いました。
(ちいさん)どんなものが一番人気がありました?
(米津さん)そうですねー。天丼なんか6階食堂有名でして、あと、中華のカタヤキそば。餡の乗った。そういうのとか。
(ちいさん)ああいうのなかなか家庭では食べらんなかったからねー。
(米津さん)あと、五目そばも有名でしたし、やはり子供さんにはお子様ランチでしょうかねー。
(ちいさん)お子様ランチのね、今日はちょっと、その話もしてお伺いしたいんですが。だいたいお子様ランチというものはどこから出たんでしょうかねー。
(須山さん)昭和5年にですねー、私ども三越の主任でおりました安藤というものが、当時、お子様に何もこうご提供できない、何かこう夢のあるものをご提供できないか?と、いうことで試行錯誤をしたものがお子様ランチ。当時はお子様洋食ということで・・・。
こちらが誕生当初のお子様洋食。須田さんが運んできたお子様ランチは、真ん中に、ハム、その上にパセリが乗っていまして、そのハムとパセリを中心に、時計回りに、上の方からサンドイッチ(一つは茶色の素材ですが、不明です。もう一つはたまごが挟んであって、その下にはレタスが敷いてあります。)、スパゲティー・ラムネ菓子(オレンジとブルーの包み紙)・クリームコロッケ・ポテトサラダ・富士山型になったライス(下がチキンライスで上が白いご飯のまさに富士山のよう。)があって、そのライスの上に三越の赤い丸に「越」の字の旗がはためいていました。
(ちいさん)昭和5年に、こんな素敵な三越さんにはお子様ランチがあったの?
あれもこれも食べてみたい。そんな子供の夢を叶えてくれるお子さまランチ。お皿に並ぶ料理は今も昔も子供たちの好きなものばかり。持って帰りたくなるお菓子。そして、何よりも心躍らされたのが、山盛りのご飯の上の旗。最初からあったんですねー。
(ちいさん)ある家庭でご飯を食べない子がいて、お母さんが苦労していろんなもの作った上に、自分で旗を作って、これをこうやってご飯の上に乗せてあげると、食べない子供が食べるって、面白い話だなーって思って、話しを聞いたことがあったけど、この旗が乗っているということと、これだけでもう、お子さまランチという当時なんかの幸せな家庭が見えるような気がしますよね。
(ちいさん)。。。須山さんこういうの食べたんだろうね。
(須山さん)はい。夢のような料理でした。
(ちいさん)あ、そう!なんで?うちではこういうの食べられなかった?
(須山さん)やはり一つの大きなお皿に全部載ってるっていうのは、非常に子供にとっては、楽しいと思う。それと、その旗を自慢げに持ち帰った記憶があります。
お子様ランチを食べる子供たちの笑顔。それを見つめる親たちの笑顔。大食堂には家族の笑顔が溢れていました。
「食堂っていうのは、みなさん家族団らんで来て、ここでほんとに、憩いの場所でもあったわけですが、今もこうして、ここにはたくさんのお客さんが来て、食堂で食事をしながら楽しんでらっしゃる様子を見ることができます。形は変わっても、皆さんに喜んでいただくというこのデパートの食堂の精神は、受け継がれているようですよね。」
ランドクラブ//雪江ハム//グルメリアン
「ガラスペン職人」
<昭和の筆記具>
受け継がれて行くものと言えば、職人の技。今ではすっかり見ることもなくなった懐かしい筆記用具、ガラスペンにも、職人の技と思いが連綿と受け継がれていました。昭和30年からガラスペン一筋にこだわり続ける佐瀬勇さん(ガラスペン職人)受け継いできたその技とは?
(佐瀬さん)結局、その時代では万年筆って高価なもので、筆記用具ですから、なんとか安いものをってその人(先代)が考えついたんです。
最大の特徴は8つに分かれた先端の溝。ちいさん分かりますか?
(女性)目にぴったりくっつけてガラスを動かしていただければ。。。8個ありますか?
(ちいさん)あるある。すごい!
できるだけ多くのインクを吸い込むためにと考案されたこのちいさな8つの溝。
ちいさん、今度は、実際にガラスペンを使って書いてみます。
「ちい散歩」
(ちいさん)きれーに(書ける)。
(佐瀬さん)黒いところが全部インクですから、それ終わるまで。
先代の思いを受け継ぎガラスペン一筋に生きた佐瀬さんにとっての昭和とは?
(佐瀬さん)もう、食べるものなくてねぇーー。それで、働く場所もないしね。だからね、これでどうなるか?と思ったですねー。だからやっぱり手に職をつければー、一生食いっぱぐれはないかなーと思った。
(ちいさん)ご主人、郷里はどこなの?
(佐瀬さん)千葉県です。
(ちいさん)おいおい!同じ千葉県だよ。ほら!
(佐瀬さん)エヘヘヘ!!
(ちいさん)な!千葉県の人はいいねぇー!やっぱりねぇー!
「今、新しい平成になってもガラスペンが脈々と力強く生きてるってのは、びっくりしました。わたしも、今日、3本購入させていただきました。」

色工房 voice
「ブリキ玩具職人」
<ブリキのおもちゃ>
脈々と受け継がれているといえば、今や世界で高い評価を得ている日本のおもちゃ。その元祖がこちらのワンダラー玩具(1体の値段が1ドル”当時360円”の玩具)。その高い技術から神の手を持つ職人とまで呼ばれた、串田恭男(76歳)さん。
この串田さんが作った玩具が戦後日本の復興を支えていたのです。昭和22年に自由貿易が再開されると、戦前から世界で高い評価を得ていたブリキのおもちゃが日本の輸出産業の花形となりました。中でも大ヒットとなったのが、串田さんの作るブリキ玩具。わずかな情報をかき集め、アメリカ文化を理解し、努力の末誕生した傑作の数々。
(串田さん)アメリカ人は当時ね、日本では食うや食わずだったのにね。肉を食って、腹がこうに出っ張って、頭の寂しいのが必ずいると。。。子供達は必ず見てるということで、やったんですよ。
(ちいさん)今や日本人が・・・。
(串田さん)そうそうそう!
(ちいさん)なんとかシンド・・・。
(串田さん)シンドロームとかなんとか言ってましたね。
日本の復興を支えたブリキのおもちゃ職人にとっての昭和とは?
(串田さん)戦後の荒廃した日本を、少しでもいくらかでも、立ち直らせる、経済大国になる基礎は築いたんですよ、と。
(ちいさん)ほんとにそうですよね。
(串田さん)そうですよね。で、それが、年をとると伴にポイされるこういう日本ってのは、非常に、不愉快ですね。
(ちいさん)ほんと、そうですね。子供たちにこれだけ夢を与え、楽しんでもらったっていうことが、やっぱり素晴らしいことをなさったわけだよね。ほんとにそういう意味ではこの人形の一つ一つの顔見ても、哀愁があってなんか悲しき、少しうら悲しくなりますね。

CREWBAR LAND
「昭和の名車ミゼット」
<ミゼット>
昭和の日本を走り抜けた3輪自動車ミゼット。乗用車が街に溢れ始めた昭和32年。その半分から3分の1という価格で、発売されたミゼットは、空前の大ヒット。昭和47年の製造中止までに、32万台を世に送りだしました。今も健在というその往年の名車を、見せていただきました。
櫻井さんが、ミゼットのセルを回してエンジンをかけます。
「やーーー!昭和の音だよねー、これは!」
ちいさん拍手しています。たしかに感動の産声って感じです。
昭和を語る上ではずせないこの小さな三輪自動車が、今も現役で働いていました。当時、その安さで爆発的人気を誇ったミゼット。しかし、櫻井(櫻井直幸さん)さんにとっては、それでも手が届かない憧れの存在でした。
男ばかりの五人兄弟の長男として誕生した櫻井さん。家計を助けるために高校を中退し、機械工の世界に飛び込んで行きました。苦労することが当たり前だった時代。櫻井さんにとっての昭和とは?
(ちいさん)なんで、そんなにがんばったんだろねー。そんな貧しいのにねー。
(櫻井さん)そうですねー。やはりですねー、あこがれがありましたね。今の生活よりも、少しでも上向きになりたい。
(ちいさん)。。。人間って、少しこう欲しいなとか、飢えてるなと思う時の方が、きっとがんばれるし・・・。
(櫻井さん)ハングリー精神。
(ちいさん)ハングリーでね。
(櫻井さん)この車と伴にですねー、少しづつ階段上がってきて、それといっしょにですねー、力がついてくる。また、反面ですねー、思い返すと、やはり昔の苦労っていうかですねー。苦しさを忘れたくないっていうイメージも持ってます。
(ちいさん)そうですよねー。まだまだ、もう、10年、15年、走ってもらわなきゃ困りますね。
(櫻井さん)困りますねー。
憧れの名車は、今日も昭和の音を街に響かせていました。贅沢はできなくても、そこに笑顔があった時代。苦しさや貧しさの中で、日々の活力を支えてきたのは、明日は笑っていたいという未来への希望だったのかもしれません。あなたにとって、昭和はどんな時代でしたか?

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2007年後半目次
戦後という一つの時代が終わりを告げた昭和30年代。復興から発展へ大きく変り行く街並みに拡がっていたのは、今の記憶の中に残る懐かしい風景。そこにあったのは、時間を忘れて外で遊んでいた子供たちの姿。
オッ!
(ちいさん)少し思い出してきたよ。
ハハハハハ!
(かつての子供たち)時間かかる!
(ちいさん)時間かかる。ってお前!50年以上やってねんだから。
漬物を入れておいくような入れ物の上に布を張り、その上でベーゴマを回すかつての子供たち。ちいさんもいっしょに、遊びます。
どれだけ時を経ても忘れられない思い出の中で膨らんで行くあの味。
さん!に!いち!
ボカーン!
(ちいさん)いやー、最高楽しい!俺、興奮したよ!なんか。子供の頃に返ったような!ほら。
ちいさん、ポン菓子の爆発に大喜びです。
誰もが心を躍らせたとびっきり贅沢な場所。そこでしか食べられない夢が溢れたメニューに憧れていたあの頃。
(ちいさん)自分で旗を作って、これをこうやってご飯の上に乗せてあげると、食べない子供が食べるって。ハハハハ!
ちいさん、お子様ランチを前に口も軽くなります。
もはや戦後ではない!そんな言葉から始まった昭和30年代。そんな時代の思い出を選りすぐって今日もお届けします。さー昭和を探しに出かけましょう。
「昭和のくらし」
昭和30年代。それはまだ、お茶の間のちゃぶ台を家族で囲んでいた時代。まずはそんな時代のくらしをちいさんが訪ねました。
<昭和のくらし博物館:下丸子>
「これがそうですか!」
ちいさんがやってきたのは、何の変哲もない住宅街。その細い路地を入って行きます。
どこにでもあった一軒屋にどこにでもあったくらしを再現した昭和のくらし博物館。家の作りから置いてあるものまで、もちろん、ちいさんにとっても懐かしいものばかりだったようです。
小泉紀子さんとちいさん。2階へやってきました。
(小泉さん)ここに雨戸が。昔はあるんですよね。
(ちいさん)こういうのは今の人は知らないだろうけど。いいですか?開けて。
(小泉さん)どうぞ。どうぞ。
ちいさん、雨戸を立て始めます。古くなっているせいか、雨戸には隙間が出来ていて、日の光がそこから差し込んできます。
ガタン、スー、スー
(ちいさん)この音がね、夕方の音なんだよ!ほら!こうしてね。
(小泉さん)ちょっと、コツが入るんですよね。
ちいさん、一度、立てた雨戸を今度は戸袋に戻します。
(ちいさん)入りました。ほら!うまいもんでしょ。
(小泉さん)うふふふ。
そして、家族が集うお茶の間には。これが欠かせませんでした。
ちいさん。今度は1階のお茶の間へ降りてきて、小泉さんにお話を伺います。
(ちいさん)このちゃぶ台ですか?
(小泉さん)ええ。ええ。
(ちいさん)これもまた、便利なもんでしたねー。
(小泉さん)そうですねー。
(ちいさん)必要な時には真ん中に出して、みんなでこう団欒っていうか、家族全員で、ここでも5人ぐらい座れるようになって。。。
ちいさんが座っている前にはちゃぶ台があって、そのちゃぶ台の上には、ごはん・豆腐のお味噌汁・焼き魚・沢庵などや醤油や七味とうがらしなどの調味料まで並んでおり、その背後にはタンスがどんと置いてあって、上には古めかしいラジオがあります。また、小泉さんの横には、火鉢まであってその上には鉄瓶のようなものまであって、当時の人がそこにまさに生活しているかのようです。
家族が膝を突き合わせて食事をする風景。ストーブも扇風機もお茶の間にしかなかった時代。団欒は今よりもずっと自然なものでした。
(小泉さん)みんなここ(お茶の間)に、割合と寝るまで、おりましたねー。
(ちいさん)そうですよねー。
(小泉さん)女5人に、父ですよね。だから、すごいおしゃべりはしまして、父はだからいつも聞いてる役で、それで女はいつもしゃべるか、食べるかだっていう風にゆってましたねー。
(ちいさん)ほんとそうでしたよね。お父さんも入りたいけど、話しん中に入れないから、新聞読んでるふりしながら、新聞の方よりもそっちの方に関心があったりしたんですよねー。
(小泉さん)そうかもしれませんねー。
現在、小泉さん家族が実際住んでいた家が、博物館になっているそうですが、あたたかな家族のつながりを話して下さいった小泉さんでした。
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「昭和の子供の遊び」
一方、外では子供同士の世界が拡がっていました。ルールもマナーも遊びの中で覚えて行ったあの頃。創意工夫をこらせば、どんなものでも遊び道具になってしまう。街全体がおもちゃ箱に見えたそんな時代。遊びを求めてちいさんが訪ねたのは?
<昭和の子供遊び:下高井戸>
「こんにちはー。おじゃましまーす。この間はどうもありがとうございましたー。」
ちいさん、花屋さんへやってきました。
<<平成18年12月19日放送下高井戸散歩>>
(ちいさん)これは、ご主人(芹沢政一さん)、ご自分でお書きになったもん?
ちいさん、本のようなものをめくっています。
(ちいさん)いろんな絵があるんですね。
「橋の上の欄干に乗って遊ぶ3人の子供」・「三角のりをしている子供」・「野球をしている子供」・「ベーゴマに興じている子供たち」などの絵がめくるたびに、出てきました。
芹沢さんが趣味で描いているのは、記憶の中の懐かしい風景。そこに登場するのはいかにもワンパクそうな子供達。そんなかつての子供たちといっしょに、懐かしい遊びを楽しんでみることに。(かつての子供たち:柏木精矩さん・岩田堅造さん・高城忠雄さん)
まずは、ベーゴマ。コマ同士をぶつけ合って、弾き飛ばした方が勝ちという男の子遊びの定番でした。
最初に柏木さんが、ベーゴマをする台を作ります。白いプラスティックの漬物を入れておいような入れ物に布を張ります。
(ちいさん)ベーゴマ、懐かしいなー。
(柏木さん)ここにね、ベテランがいるんですよ。
(高城さん)少し出しておいてくれりゃー、良かったのによー。
湿気っているようで、紐がからまってなかなかほどけません。でも楽しそうです。
(ちいさん)そうなんだよなー。少し使ってないと。だんごもできてないじゃん。輪っか作んなきゃダメなんだおー。
( ̄◇ ̄) σ輪っか作んなきゃだめなんだおー。
ちいさんが言う輪っかとは、紐を巻きつけるのに必要な結び目のこと。(紐に2つの輪っかを作り、そこに引っ掛けながら、紐を巻き付けて行くことです。)その結び目のテクニックにもいろいろなテクニックがあるそうなんですが・・・。男の子はないとわかんないですよねー。
では、お手並み拝見と行きましょう。
最初にコマを投げ入れたのは、高城さん。そして、柏木さんが投げ入れます。
ビューン!
(高城さん)あ、やられた!
柏木さんのコマが高城さんのコマを勢い良く弾き飛ばしました。さすがですねー。さて、ちいさんは?
ボテッ!
(ちいさん)ダメだ!
コマが回りません。やり直しです。
(高城さん)おもしろいでしょ。
(ちいさん)おもしれーなー。
もう一度ちいさん!
ビュ!
(ちいさん)少し思い出してきたよ。
よわよわっちいですが、回ることは回っています。
(スタッフ)時間がかかりましたね。
(ちいさん)何十年もやってねー。時間かかってって、お前!50年以上やってねーんだから。
(高城さん)うなりが出るくらい回さなきゃな。
高城さんが再び投げ入れます。鋭く回る高城さんのコマ。そこへちいさんも投げ入れます。
カチン!ゴチン!
(ちいさん)あーーー、なんだよー!
コマがけんかしてます。残念!ちいさんのコマの動きが止まりました。
(高城さん)まだ、回ってるだろ?力入ってるから。
(ちいさん)すごいね!
ちいさん、敗北宣言です。
続いてはこちらも懐かしいメンコ(番組で紹介されたのは、月形半平太・遠山の金さんなど)。お気に入りのスターやキャラクターが描かれたメンコの取り合いにも熱くなっていたものです。
バシッ!!
(高城さん)いやーもうだめだな。
高城さんがコンクリの地面に叩きつけるように、メンコを打ち込みますが、相手のメンコはピクリともしません。
(高城さん)フッ!ダメだ!
もう一度やりますが、うまく行きません。ちいさんもやってみますが、なかなか、裏返りません。
ベーゴマとは、うって代わって皆さん苦戦しているようです。
(高橋さん)全然力はいんねー。
(ちいさん)ダメだっていいじゃないのよー。何でそんなムキになってんのよー。
(スタッフ)ダメなのが当たり前だよ。
(ちいさん)もう、50年も60年やってないんだから。
こんな風に熱くなっていた子供たちいっぱいいましたよねー。
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「地井さん思い出の駄菓子」
そして、必ず立ち寄ったのは駄菓子屋さんでした。お小遣いを握りしめながら、何を買うかで悩んでいたものです。そんな駄菓子の中でもちいさんの思い出が詰まっているというのが、こちらのポン菓子。
<ポン菓子製造:西日暮里>
(ちいさん)あー、懐かしい機械。。。ですよねー!ぼくの、ぼく、千葉県なんですけど、ぼくの田舎の方では、ばくだん、って言った・・・。
(社長さん:吉村文明さん、58歳)ばくだんとか、ばくだんあられとか、ですね。
(社長さん)ここに、お米を入れます。これが10倍になるんです。
(ちいさん)5合の米ですね。
(社長さん)5合が1斗になるんですよねー。(5合 = 901.95 ミリリットル、1斗 = 18.03900 リットル)
社長さんがお米を機械に入れて行きます。
このお米を入れた筒状の釜を回転させながら過熱し、釜の中の圧力が高まって行くと?大きな音と伴にお菓子の出来上がり。まるで魔法のような大砲には大人も子供も、皆、夢中になりました。原料はお米。一粒のお米が10倍にも膨れ上がるというのですから、実に不思議なものですよねー。
(ちいさん)僕が子供の頃には、なんか量が増えてうれしいとか。
(社長さん)そうなんですよ。満腹になったり。
(ちいさん)そういう意味合いもあったんですかねー。
(社長さん)いや、ちょうどそのぉー、親父が、中国、戦争が終わって帰ってきたら、日本中が食料難でしょ?。それでもう、満足なものがないんですよねぇー。お菓子なんてとんでもない。そういう時にこういう道具があればー、まー、お腹ペコペコの子供達が救えるっていうか・・・。
お腹も好奇心も満たしてくれたポン菓子。いよいよ完成です。
(社長さん)じゃ、やりますよ。で、カウントダウンするんですよ。子供には。今日は、英語で行こーなーって。ファイブ!フォー!さん!にー!いち!!
( ̄◇ ̄) σあらーっ
て言って最初フェイントかけるんです。で、再度
さん!に!いち!
ボカーン!
(社長さん)どーですか?お米が10倍ですよ。
(一同)おわっーーーー!
(ちいさん)いやー、最高楽しい!俺、興奮したよ!なんか。子供の頃に返ったような!ほら。
ちいさん、ポン菓子の爆発に大喜びです。
ちいさん、できたての一粒のポン菓子を口に入れてみます。
(ちいさん)いやー懐かしいなー。
(社長さん)例えば、ボンとやる時に脅かすんですよねー。
(ちいさん)そうそう。
(社長さん)”足踏ん張っとけよー”と。”飛ばされちゃうぞ!と。
(ちいさん)だから、耳だって必死に抑えましたよ。”耳がつぶれるそー!”なんて言われて、(耳を)グーっと!
耳の穴に指を入れて当時のちいさんの様子を再現して見せてくれました。
そして、出来立てのポン菓子に砂糖をからめれば、懐かしの味に。ちいさんいかがですかぁ?
(社長さん)懐かしいでしょ。
(ちいさん)懐かしいし
。。。
(社長さん)で、今日はいいお米だから。なお更おいしいと思いますよ。
(ちいさん)う〜ん。おいしいし。なんか、ほんとにこう人間の手のあったかーい昭和のいい時代の味です。
2人とも、ポン菓子を食べまくってます。
耳をふさいで完成を待ちわびていた子供たちの夢もいっしょに膨らませてくれるポン菓子。
「できてきたお菓子。ほんとにこう、なんか人間の手を経た、温もりのある柔らかい味のおいしいお菓子でした。」
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「元祖お子様ランチ」
昭和の時代。デパートは特別な存在でした。おもちゃ売り場に屋上遊園地。そこに出かけること自体が一大イベントでもありました。何よりの楽しみは家族揃っての外食。デパートの大食堂はとびきりの贅沢でもありました。
<日本橋三越本店>
ちいさん、日本橋三越のランドマークのウィンドーのところへやってきました。
「あー、今でもいろんな種類があるんだねー。」
たくさんのメニューが展示してあります。
「今はもうこういうレストランって、あまりなくなったじゃないですか?おそば屋さんはおそば屋さんで独立してて、洋食屋さんは洋食屋さんで独立してるみたいなんだけど、一つの食堂にこれだけのメニューがわーっとこうあるっていうのは、あまりないんじゃないのかねー。」
最大で600席あったという三越の大食堂。どんな様子だったのか当時働いていた人に様子を伺いました。
(ちいさん)どんなものが一番人気がありました?
(米津さん)そうですねー。天丼なんか6階食堂有名でして、あと、中華のカタヤキそば。餡の乗った。そういうのとか。
(ちいさん)ああいうのなかなか家庭では食べらんなかったからねー。
(米津さん)あと、五目そばも有名でしたし、やはり子供さんにはお子様ランチでしょうかねー。
(ちいさん)お子様ランチのね、今日はちょっと、その話もしてお伺いしたいんですが。だいたいお子様ランチというものはどこから出たんでしょうかねー。
(須山さん)昭和5年にですねー、私ども三越の主任でおりました安藤というものが、当時、お子様に何もこうご提供できない、何かこう夢のあるものをご提供できないか?と、いうことで試行錯誤をしたものがお子様ランチ。当時はお子様洋食ということで・・・。
こちらが誕生当初のお子様洋食。須田さんが運んできたお子様ランチは、真ん中に、ハム、その上にパセリが乗っていまして、そのハムとパセリを中心に、時計回りに、上の方からサンドイッチ(一つは茶色の素材ですが、不明です。もう一つはたまごが挟んであって、その下にはレタスが敷いてあります。)、スパゲティー・ラムネ菓子(オレンジとブルーの包み紙)・クリームコロッケ・ポテトサラダ・富士山型になったライス(下がチキンライスで上が白いご飯のまさに富士山のよう。)があって、そのライスの上に三越の赤い丸に「越」の字の旗がはためいていました。
(ちいさん)昭和5年に、こんな素敵な三越さんにはお子様ランチがあったの?
あれもこれも食べてみたい。そんな子供の夢を叶えてくれるお子さまランチ。お皿に並ぶ料理は今も昔も子供たちの好きなものばかり。持って帰りたくなるお菓子。そして、何よりも心躍らされたのが、山盛りのご飯の上の旗。最初からあったんですねー。
(ちいさん)ある家庭でご飯を食べない子がいて、お母さんが苦労していろんなもの作った上に、自分で旗を作って、これをこうやってご飯の上に乗せてあげると、食べない子供が食べるって、面白い話だなーって思って、話しを聞いたことがあったけど、この旗が乗っているということと、これだけでもう、お子さまランチという当時なんかの幸せな家庭が見えるような気がしますよね。
(ちいさん)。。。須山さんこういうの食べたんだろうね。
(須山さん)はい。夢のような料理でした。
(ちいさん)あ、そう!なんで?うちではこういうの食べられなかった?
(須山さん)やはり一つの大きなお皿に全部載ってるっていうのは、非常に子供にとっては、楽しいと思う。それと、その旗を自慢げに持ち帰った記憶があります。
お子様ランチを食べる子供たちの笑顔。それを見つめる親たちの笑顔。大食堂には家族の笑顔が溢れていました。
「食堂っていうのは、みなさん家族団らんで来て、ここでほんとに、憩いの場所でもあったわけですが、今もこうして、ここにはたくさんのお客さんが来て、食堂で食事をしながら楽しんでらっしゃる様子を見ることができます。形は変わっても、皆さんに喜んでいただくというこのデパートの食堂の精神は、受け継がれているようですよね。」
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「ガラスペン職人」
<昭和の筆記具>
受け継がれて行くものと言えば、職人の技。今ではすっかり見ることもなくなった懐かしい筆記用具、ガラスペンにも、職人の技と思いが連綿と受け継がれていました。昭和30年からガラスペン一筋にこだわり続ける佐瀬勇さん(ガラスペン職人)受け継いできたその技とは?
(佐瀬さん)結局、その時代では万年筆って高価なもので、筆記用具ですから、なんとか安いものをってその人(先代)が考えついたんです。
最大の特徴は8つに分かれた先端の溝。ちいさん分かりますか?
(女性)目にぴったりくっつけてガラスを動かしていただければ。。。8個ありますか?
(ちいさん)あるある。すごい!
できるだけ多くのインクを吸い込むためにと考案されたこのちいさな8つの溝。
ちいさん、今度は、実際にガラスペンを使って書いてみます。
「ちい散歩」
(ちいさん)きれーに(書ける)。
(佐瀬さん)黒いところが全部インクですから、それ終わるまで。
先代の思いを受け継ぎガラスペン一筋に生きた佐瀬さんにとっての昭和とは?
(佐瀬さん)もう、食べるものなくてねぇーー。それで、働く場所もないしね。だからね、これでどうなるか?と思ったですねー。だからやっぱり手に職をつければー、一生食いっぱぐれはないかなーと思った。
(ちいさん)ご主人、郷里はどこなの?
(佐瀬さん)千葉県です。
(ちいさん)おいおい!同じ千葉県だよ。ほら!
(佐瀬さん)エヘヘヘ!!
(ちいさん)な!千葉県の人はいいねぇー!やっぱりねぇー!
「今、新しい平成になってもガラスペンが脈々と力強く生きてるってのは、びっくりしました。わたしも、今日、3本購入させていただきました。」
「ブリキ玩具職人」
<ブリキのおもちゃ>
脈々と受け継がれているといえば、今や世界で高い評価を得ている日本のおもちゃ。その元祖がこちらのワンダラー玩具(1体の値段が1ドル”当時360円”の玩具)。その高い技術から神の手を持つ職人とまで呼ばれた、串田恭男(76歳)さん。
この串田さんが作った玩具が戦後日本の復興を支えていたのです。昭和22年に自由貿易が再開されると、戦前から世界で高い評価を得ていたブリキのおもちゃが日本の輸出産業の花形となりました。中でも大ヒットとなったのが、串田さんの作るブリキ玩具。わずかな情報をかき集め、アメリカ文化を理解し、努力の末誕生した傑作の数々。
(串田さん)アメリカ人は当時ね、日本では食うや食わずだったのにね。肉を食って、腹がこうに出っ張って、頭の寂しいのが必ずいると。。。子供達は必ず見てるということで、やったんですよ。
(ちいさん)今や日本人が・・・。
(串田さん)そうそうそう!
(ちいさん)なんとかシンド・・・。
(串田さん)シンドロームとかなんとか言ってましたね。
日本の復興を支えたブリキのおもちゃ職人にとっての昭和とは?
(串田さん)戦後の荒廃した日本を、少しでもいくらかでも、立ち直らせる、経済大国になる基礎は築いたんですよ、と。
(ちいさん)ほんとにそうですよね。
(串田さん)そうですよね。で、それが、年をとると伴にポイされるこういう日本ってのは、非常に、不愉快ですね。
(ちいさん)ほんと、そうですね。子供たちにこれだけ夢を与え、楽しんでもらったっていうことが、やっぱり素晴らしいことをなさったわけだよね。ほんとにそういう意味ではこの人形の一つ一つの顔見ても、哀愁があってなんか悲しき、少しうら悲しくなりますね。

「昭和の名車ミゼット」
<ミゼット>
昭和の日本を走り抜けた3輪自動車ミゼット。乗用車が街に溢れ始めた昭和32年。その半分から3分の1という価格で、発売されたミゼットは、空前の大ヒット。昭和47年の製造中止までに、32万台を世に送りだしました。今も健在というその往年の名車を、見せていただきました。
櫻井さんが、ミゼットのセルを回してエンジンをかけます。
「やーーー!昭和の音だよねー、これは!」
ちいさん拍手しています。たしかに感動の産声って感じです。
昭和を語る上ではずせないこの小さな三輪自動車が、今も現役で働いていました。当時、その安さで爆発的人気を誇ったミゼット。しかし、櫻井(櫻井直幸さん)さんにとっては、それでも手が届かない憧れの存在でした。
男ばかりの五人兄弟の長男として誕生した櫻井さん。家計を助けるために高校を中退し、機械工の世界に飛び込んで行きました。苦労することが当たり前だった時代。櫻井さんにとっての昭和とは?
(ちいさん)なんで、そんなにがんばったんだろねー。そんな貧しいのにねー。
(櫻井さん)そうですねー。やはりですねー、あこがれがありましたね。今の生活よりも、少しでも上向きになりたい。
(ちいさん)。。。人間って、少しこう欲しいなとか、飢えてるなと思う時の方が、きっとがんばれるし・・・。
(櫻井さん)ハングリー精神。
(ちいさん)ハングリーでね。
(櫻井さん)この車と伴にですねー、少しづつ階段上がってきて、それといっしょにですねー、力がついてくる。また、反面ですねー、思い返すと、やはり昔の苦労っていうかですねー。苦しさを忘れたくないっていうイメージも持ってます。
(ちいさん)そうですよねー。まだまだ、もう、10年、15年、走ってもらわなきゃ困りますね。
(櫻井さん)困りますねー。
憧れの名車は、今日も昭和の音を街に響かせていました。贅沢はできなくても、そこに笑顔があった時代。苦しさや貧しさの中で、日々の活力を支えてきたのは、明日は笑っていたいという未来への希望だったのかもしれません。あなたにとって、昭和はどんな時代でしたか?

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