テレコラ、今日も書いてます。注)独断と偏見で、ドラマレビュー等からドラマをレビューしたブログ紹介等になることがあります。

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「昭和の風景を求めて 懐かしい時計」

「今日は昭和の時計ということで、今、ここに来ております。これは何でしょう。これはセイコー時計資料館。こういうものがあるんですね-。」

ちいさんがやってきたのは、墨田区東向島にある”セイコー時計資料館”。

セイコー:明治14年創業、国産初の腕時計、世界初のクオーツ時計の製品化に成功した日本を代表する時計メーカー。

創業100年を記念して建てられた館内で見られるのは、紀元前から始まった時計の進化の歴史(1階:時の進化フロア)。いつの時代も時計はわたし達のそばで時を刻んできました。昭和の時代、時計は使い捨てられることなく、長く大切に使われる家具のような存在でした。時代によって、形、そして役割を変えながらも、時を刻み続けてきた日本の時計。その歴史の一翼をになってきたセイコー(2階:セイコーの足跡フロアー)。

懐かしい品々が並ぶ館内を歩けば、思い出の中の時計が見つかるかもしれません。ちいさんも何か見つけたようです。

(ちいさん)こんな時計だったなぁ。俺。初めてしたの。う~ん。素敵だな。薄くて。親父からもらったの。確かこんな時計だったなぁ。

入学や就職。大人への階段を一歩上る。そのお祝いに贈られるものといえば、腕時計が定番でした。あの時代、時計をすることは大人の証だったのかもしれません。

(ちいさん)みんな覚えていらっしゃるんじゃないかなー、初めて時計をした時って、なんか大人になったようなつもりになって。
(説明員:串田均さん)そうですね。大変な感動ですね。
(ちいさん)。。。で、もう、用もないのに、5分おきに時計を見てたような。記憶ありますけど。

大正時代(国産初の腕時計 大正2年製造)に産声を上げた日本の腕時計の歴史。今でこそ誰もが認めるメイド・イン・ジャパンが、まだ見向きもされなかった時代。その真価を発揮し世界を席巻するのは戦後になってからのこと。

(串田さん)戦後15年経ちまして、グランドセイコーというスイスが決めた基準に合致する時計が開発されました。で、これが世界に認められまして、4年後の昭和39年に、世界的なスポーツイベントである東京オリンピック(公式タイマー)の正式な時計として採用されることになった。


時計館

東京オリンピックによって驚異的な戦後復興を世界にアピールした日本。同時にそれは精密機械を始めとした様々な日本製品が世界に飛び出すきっかけでもありました。

(ちいさん)こういう時計、良くありましたよ。昔。

ちいさんが見ているのは、学校の教室などに置かれていた丸型のシンプルな掛け時計。
その時、違う方向から。


ボーン、ボーン。

時計が時を知らせています。ちいさん、思わず、そっち方へ足が運びます。

(ちいさん)あー懐かしいですねー。ふふふ。なんかさー、のんびりしてていいね!今の俺たち反省しなきゃいかんね。やっぱりちい散歩もこういう音だよな。


ボーン!チクタク・・・。

(ちいさん)あーいい音じゃないか!

時を知らせる時計の音。これもまた昭和の音色。

(串田さん)この辺は大正時代ですね。大正から、昭和に入る頃です。

文字盤が黄色くなっている掛け時計や周囲に施されたレリーフは時代を感じさせてくれます。

明治・大正古掛時計図鑑


家族を見守ってきた掛け時計。これも今では記憶の中の風景。

(ちいさん)一回、こう時計って買ったら、今やなんかみたいに使い捨ての感覚じゃないから、一生ものという、うち中で大事にして、まわりにこういうところに一段高いところにあって、いつかも話したけど、ネジで巻くという作業は、そのうちのお父さんなんかが必ずこう、テーブルをいすかなんかをもってって、一段高いところでこうやって巻いて、僕らちっちゃい子供の時はやりたくてもできないんだよ。

ちいさんの話しはさらに続きます。

(ちいさん)そのくらい貴重なもんだから、ラジオとか時計を下に置くってことはなかったから、上に置くってのは、もちろん、みんなが見れるっていうこのあれもあるんだろうけども、利便性もあるんだろうけど、そうじゃなくて貴重なものであるから、子供やなんかがいたずらしたり、あるいは投げたりなんかしたりした時に、ぶつからないとかいろんなことがあって、もっとこう崇める様に、今より時計を見てた時代だろうねー。

<セイコー時計資料館関連ページ>
SEIKO//TOP
ミュージアムレポート//TOP

<セイコー時計資料館>
開館:10時~12時、13時~16時
休館日:日・月曜、祝祭日、年末年始
入館無料、要予約

何度も修理されてはその役目を果たしてきた昭和の時計。そんな歴史を知る人物をちいさんが訪ねました。

「昭和の風景を求めて 時計修理職人」

迎えてくれたのは本間誠二さん(77歳)。半世紀以上に渡って時計を直し続けてきた大ベテランの修理職人。

(ちいさん)本間さんが例えば、子供の頃というか、ちいちゃい時は、なんか時計に対する興味がおありだったんですか?
(本間さん)ちいちゃい時から機械ものが好きでしてね、もう、5歳の頃から時計にあこがれてたんですよ。で、小学校・中学校・高校となる間になんとかして、時計屋になろうということで、目標はセイコー社に入ろうという。

その夢を叶え、時計作りの現場に飛び込んだのは、19歳の時でした。

(ちいさん)それでも、その時は先輩の修理する人たちやなんかがいらっしゃって、その人たちの技術を見ながら。
(本間さん)えーそうです。就くわけです。
(ちいさん)それは何年ごろでしょうか?
(本間さん)昭和23年です。
(ちいさん)昭和23年っていうと、まだ日本が戦争からやっと立ち上がって、ようやく食べるものもそろそろ食べられるようになってきたくらいですねー。その時代、会社へ入られたでしょうけど、セイコーの時計はまだ売れてました?
(本間さん)売れてました。
(ちいさん)な、なんでですか?
(本間さん)いや、時計がなかったんです。で、その当時は戦前の時計の普及率、時計を持つ普及率戻るまでには50年かかるだろうって言われてたんですよ。
(ちいさん)戦前の普及率と戦後の普及率を比べたら、戦前のがあったんですね。戦前はみんな持ってた。
(本間さん)そうです。戦前の普及率にもどんのに50年かかると言われたんです。
(ちいさん)それは何で戦争というものを挟んで、ま、経済のあれもあるんでしょうけど、急に時計がなくなってしまったんですか?日本に。
(本間さん)なくなったんでしょうね。

50年かかると言われた時計の普及。しかし、戦後の復興はその予想をも覆すものでした。そして時代が急速に加速して行く中、時計そのものも大きな変化を遂げて行ったのです。

(本間さん)クオーツの発達とともにですね、時計、機械時計がだんだんと薄らいできましてね、ある一定、15年ぐらいの大きなブランクがありましたんですよ。その間にみんなクオーツに移ってしまいまして、(機械式時計の)技術屋さんがどんどんいなくなってしまったんです。機械時計を直す人もいなくなっちゃったんです。それからもう一つは最近の量販店の販売によって、小さな時計屋さんでは時計が売れなくなりました。そのために、時計が売れない、修理ができないってことで、街の時計屋さんがどんどんなくなって来まして。

時計を直すことができる技術者も、今となっては貴重な存在。

(本間さん)見ればもうすぐ、これ昭和何年、昭和何年って、もうお預かりした時計は見たらすぐ分かりますからね。その懐かしさがパーッと蘇ってきまして、その時計を見ただけで、あーこれあたしがセイコー社にいて、あんなもの作ってた時代だな、これは私が中学にいて、ちょうど、時計を作って物理の先生といっしょに、生徒の時計を直してやった時代の時計だな。とかね、そういうの良く分かりますよ。
(ちいさん)はーー!これもすごい話ですね。じゃー、自分との、時計の裏を開けたと同時に、自分のその青春時代がこう蘇ってくるような。
(本間さん)去年、銀座の松坂屋で毎年、ウォッチフェアーってのをやりましてね、お客さんのウォッチクリニックで時計の修理に預かるんですけど、そん時お持ちになった時計をパカッと開けましたら、わたしのサインが入ってるんですよ。1948年8月6日(5日)です。


( ̄◇ ̄) σ寒気がしましたよ!

長い年月を経て、再び本間さんの許へやってきた懐中時計。そこに刻まれていたのは、人と時計の間にある特別な歴史。


ブランドショップ ブルーク

(本間さん)ついこの間もそうですけどね。実はおじいちゃんが持ってる時計なんで、おじいちゃんが今、病気で病院に入ってるんですよ。。。もう何日か日にちがね、いつ死ぬか分からないんだけれども、おじいちゃんが生きてるうちに、この時計をなんとか直してね、音を聞かせたいっていうんですよ。そういうようなもんで、それじゃーっていうんで、忙しかったんですけれど、それを優先的に直してね、お届けしました。ったら、そのお嬢さんが、”おじいちゃん時計が直ったのよ!”って耳元でその時計を見せて、”あ!動いてる”っつって2日後に亡くなりました。そういうこともあったんです。でも、わたしもいいことしたと思いましたよ。お礼のお手紙いただきましたけどね。

全国から届けられる感謝の手紙には、時計が時刻を知るためのものだけではないことが、それぞれの言葉で綴られているそうです。人の手の温もりが通った時計も、また、愛すべき昭和の遺産。

(ちいさん)どっかで、僕なんかはこういうものを信じる。こうやってこうやって見ててくれる世界というものが、どっかで今、アナログとかっていう世界でいえば、人間の手の中から、こう生まれたものというものの価値観とかっていうものがあって、使っててここにあったかさがあるのとないのとがあるんですよ。時間は正確に刻むんですけども、ここになんか人の温もりやあったかさが、ある時計ってありますね。これはやっぱり本間さんのような方が、携わったわけじゃないですか。

ちいさん、時計屋さんの拡大鏡を覗きながらつぶやきます。


アヤハディオ ネットショッピング

(本間さん)手で、手で直さなきゃだめです。修理も手で、手で直して、一つ一つ真心を込めてですね。使うこと、使う方のことを思い出しながら、あ!直った時に喜んでくれるだろうな!と思いながら直してるわけですよ。

歴史と思い出をも刻む温かな時計。昭和のおもかげがここにはまだ残っていました。

<本間誠二氏関連ページ>
Homma Watch Laboratory
国産機械式クロノ調査報告書//TOP


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000) 枠材 :  木枠 アルダー 薄茶木地塗装  サイズ・重さ : 262x310x45mm 1.0kg 電池 : 単3(マンガン)×2 (電池寿命約2年間) 機能 &a
2007/08/01(水) 21:03:56 | 掛け時計への思い
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