テレコラ、今日も書いてます。注)独断と偏見で、ドラマレビュー等からドラマをレビューしたブログ紹介等になることがあります。

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「今日の昭和さんぽのテーマは、はい!これです。」

ちいさん、右手をあげて何かにつかまってるポーズの後、


チン、チン、チーン

そして、前後に体をゆすり出しました。

「はい、このくらい揺れたんですよ!チンチン電車こと”都電”、当時東京を縦横無尽に走っていた都電、あれがどんなものだったのか?訪ねてみたいと思うんですが、何故、わたしがここ(六本木交差点)に立っているか、お分かりですか?実はその頃の写真(昭和42年頃の六本木通り:東京都交通局所蔵)が、こっから撮った写真があるんですねー。はい。大分今とは様変わりしてますよねー。都電が走ってまして、車も懐かしい車が走ってますが。」

写真には首都高脇の道路を、都電とフェンダーミラーのタクシーが併走している姿、奥の方には高層ビルが一つだけが写り込んでいました。特徴的なのは、この頃は歩道が狭く街路樹がほとんどなかったことです。

「昭和の風景を求めて 道路の主役 都電」

オリンピックの熱も冷めやらぬ昭和40年代、東京から姿を消して行った乗り物がありました。チンチン電車の愛称で親しまれてきた都電。地下鉄も自家用車も今ほど当たり前でなかった時代。庶民の足と言えば、東京の街に網の目のように張り巡らされていた路面電車。都電でした。

<都電関連ページ>
ぽこぺん都電館TOP


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初めて街に登場したのは、明治36年(品川八ツ山~新橋間に路面電車が開通)、以来変り行く東京の街並みを見つめてきました。

<都電路線図関連ページ>
ぽこぺん都電館

最盛期(最大41系統の路線)には一日193万人もの乗客を運んだ都電が、街から姿を消し始めたのは昭和30年代の後半。そこから10年も経たないうちに、(都電)荒川線を残すのみとなりました。

「わたし、今、都内で唯一残る荒川線の”荒川車庫前”というところに来ています。ほら!懐かしいですけども、今こういうの、昔我々が乗ってた都電というイメージではないですよねー。もう、なんか普通の電車という感じがしますけど。」

さてちいさん、荒川駅前を後にして歩き出しました。

「ここにありますねー、”(東京都)交通局荒川電車営業所”という、これちょっと、当時都電を運転していた人たちがいらっしゃるっていうんで、お話をうかがってみようと思います。」

ちいさんが訪ねたのはかつて都電を運転していたという古川(元都電運転手:古川靖男さん、66歳)さん。<ここで、BGMがかかってました。あの”村上ゆうこちゃん”が主に散歩をしていたときの曲です。>

(ちいさん)何年ごろに操縦、運転をなさってたんですか?
(古川さん)わたしね、(昭和)37年なんですよ。
(ちいさん)37年!ってことは、わたしがちょうど東京へ来たころですよ。

(ちいさん)どの辺を。
(古川さん)わたし、青山、今青山学園ありますよね。あそこの前に青山営業所ってあったんですよ。そこへ勤務してたんですね。それで、6系統、6・9・10、ですから、ちょうど6系統っていうのは渋谷の駅前から六本木・溜池・虎ノ門の新橋、ですからいっしょに、いっしょにお会いしていたかもしれません。
(ちいさん)。。。俳優になるための俳優座の養成所・・・。
(古川さん)あそこ六本木、俳優座・・・。
(ちいさん)。。。俳優座の前で下車してあそこで通ってたんですよ。

古川さんが運転していたのは、下積み時代のちいさんも利用していた渋谷の街を走っていた都電。今ではひっきりなしに車が行き来する青山通りも、当時の主役は自動車ではなく、大勢の乗客を詰め込んで走る都電でした。

(古川さん)これが渋谷の駅。。。東急文化会館。
(ちいさん)文化会館ですねー。こっから乗ったわけですよ。

古川さんは昭和42年頃の渋谷駅前の写真(東京都交通局所蔵)を出してくださいました。都電とその周辺を行き交う人々、そして写真中央には”フランセ”という広告も見えます。

(古川さん)それで、これが青山の六丁目のところですね。
(ちいさん)あ、角ですね。

(スタッフ)ちいさん、覚えてます?
(ちいさん)覚えてる。覚えてる。これ以上、乗ったんだもん。こういう景色みんな覚えてるよ。やっぱり。目に焼きついてるよ。

今度は、昭和42年頃の青山六丁目の角のところの写真です。2台のチンチン電車がその角を曲がろうとしているところが写されています。ちいさんが利用していた昭和37年当時は、片道乗車券15円、コーヒー1杯50円の時代だったそうです。

思い出の中にふと浮かび上がる昭和の何気ない風景。そこには当たり前のように都電がありました。そんな懐かしい車両が荒川車庫に隣接した広場に保存されていました。(都電おもいで広場

<都電おもいで広場関連ページ>
やいゆえブログ

ちいさん、かつての街の主役たちと久々の再会です。

(古川さん)これがちょうど、7504号車。。。どうぞ!

ちいさんと古川さん、7504号車に思い出の乗車です。

(ちいさん)あーー!懐かしいなーー!いやーこの匂いも。いやーこの匂いが懐かしいわ!
(古川さん)そうなんですよ。この・・・。そうでしょ!この匂いが独特な匂いしまして、これがね、いかにも・・・。

二人ともニコニコしています。

(ちいさん)これは下の床の油に匂い・・・。
(古川さん)そうそうそう!この床を、結局、雨はじくとか水はじくとか塗ってやるんですね。
(ちいさん)そうですよねー。

ちいさんつり革につかまって、車内をあっちこっち、きょろきょろしています。

(スタッフ)ちいさんどんな感じで乗ってたの?
(ちいさん)ほんとにいつもこういう感じで、なかなか座るなんて機会もなかったですよね。わりと混んでてね。今の山手線のラッシュってほどじゃないけれど、けっこう混んでてね、こういうところ(窓際でいすのないところ)にずっと、こう押し込まれるようにしてましたよ。

当時はつり革につかまって乗ることしかなかったちいさんでした。

(ちいさん)これがね。こうつかまってないと、これが大袈裟んなんと、これくらいになるまで揺れるんです。。。
(古川さん)すごい時はね。

ちいさん、天井につくくらいにつり革を揺らして、当時の都電がめちゃくちゃ揺れが激しかったかを伝えたいようです。

今はもう、揺れることもなくなった車体。そこに染み付いていたのは、たくさんの乗客を乗せ、自動車が踏みつけたことで形が歪んでしまった線路をゆっくりと、それでも大きく体を揺らしながら停車場から停車場を走る。そんな忘れえぬ思い出の匂いでした。

(ちいさん)渋谷から六本木までは毎日、8時に渋谷に乗ったら、8時15分に六本木に着くってことはなかったですよねー。当時。
(古川さん)まー車の渋滞。
(ちいさん)車の渋滞状況だったり、天気が悪かったり。
(古川さん)そういうことですよねー。
(ちいさん)まーいろんな、接触がないにしても、接触に近いようなことがあってちょっとトラブルがあったり、いろんなことがあったりしたけど、人と人との付き合いが、こうすごく濃かったですよねー。そういうものから見ると今の乗り物というのは、すごくなんか違う。。。
(古川さん)そういう人とのね。なくなりました。ですから、中でお客さん同士のトラブルもあまりなかったし、でーやっぱりほら、電車運転してても一般道ですから、お客さんが手振って”止まってー”って言えば、待ってあげたりねー。

街に溶け込み愛されていた都電。まだ、人々が早さを求めていなかった時代。ゆるやかに走る都電の中では、人と人とが向き合える余裕があったのかもしれません。しかし、時代は急速にスピードを上げて行きました。大量にしかも素早く乗客を運ぶ高速道路(昭和30年代後半)や地下鉄が建設ラッシュを迎え人々に歓迎される中、愛すべき街の主役は、いつしか邪魔者として街の片隅に追いやられることになってしまったのです。

そして、待っていたのは、廃止という運命。東京の街から述べ181キロに渡る路線が瞬く間に消えて行きました。

(ちいさん)それがこうなくなった時って、どんな気持ちがした?
(古川さん)やっぱり寂しかったですよねー。で、私、ちょうど6系統の虎ノ門返しって、の最終をもたしていただいて、ミス港区ですか?あー渋谷区だ!
(ちいさん)乗せて。
(古川さん)いや!車庫から出る時に花束もらって。。。あの時は手袋はずした方が良かったかなーって、えへへ!

明治から大正、そして昭和。変り行く東京の街並みと共に歩んできた都電が、路上から姿を消し始めた昭和30年代後半、同じように網の目のような路線網をもった地下鉄が登場し、大量輸送時代が幕を開けることになりました。急速な変化を余儀なくされた時代のスピードに取り残されてしまった都電。チンチンと音を流しながら走る姿は、古き良き時代の思い出の中だけのものとなりました。

(ちいさん)おいくつぐらいまで運転してらっしゃいました?
(古川さん)(昭和)43年に6系統っていうのが廃止されたんですよ。要はご存知のように、あそこの通り、高速道路。要はオリンピックが至上命題でしたから、その関係で6系統が一番早く、撤去、廃止になったんですね。じゃー、地下鉄へってことで、地下鉄へ。
(ちいさん)その後また、地下鉄の電車も運転なさった。じゃー大分都電の乗せていたお客さんと、地下鉄の時代ではもう大分違いますか?
(古川さん)違います。忙しそうにみなさんが歩くっていいますかねー。のんびり感がなくなりましたよねー。
(ちいさん)僕はねー、ほんとにそう思うんですよ。このごろ、電車なんかで新幹線なんかね、何度も乗ってね。大阪でも行くっていう時に、なんか日本人ねー、特にねー、東京駅の辺りでも何でもねー、せわしないですよ。歩き方も。
(古川さん)そうですよねー。
(ちいさん)それでもっとこう、なんか昔都電に乗って、電車を待ってあるいは、乗ってどっかに移るてのがそんなにみんなあくせくしてなかったのかな。みんな急いで行かなきゃいけない。急いでなんとかしなきゃいけない。いらいらしてるっていうような感じがねすごくあるんですよ。そうじゃないというところで、この電車を捉えるとね、回転数がもっとゆっくりだったんじゃないか?

ちいさん立ち上がってつり革まで揺らして熱弁を振るっています。

(ちいさん)だからこの電車のつり革がこんなに揺れても誰も文句言う人もいなくて、僕なんかこれ(つり革で)ボクシングの練習こうをして、やってましたからねー。

とうとうつり革でボクシングの練習まで始めちゃったちいさんでした。

(古川さん)いやーほんとそうですよ。えー!
(ちいさん)そういう時代がなんか今思うとほんと懐かしいですよねー。

都電が走っていた東京。どこかのんびりとしていた昭和の風景。一分一秒を今ほどおしいと感じなかったあの頃。加速する時代に飛び乗った人々は、停車場に何かを置き忘れてきたのかもしれません。

さて、ちいさん車外へ出てきました。

「久しぶりに、昔の車両ですけれども、そばにこう立ってみると、なんかこんなに大きかったかなーっていう、たしかに気がしますねー。この時代のものだなーっていう懐かしさがこみ上げてくるのと、どっかでチンチーンって音がどんなに電車を待ってる人やそれに乗って行く人に、あるこう気持ちの音を伝える音だったかというのが未だにこの耳に懐かしく残ってますねー。なんかあの時代のチンチーンっていう電車の音は、とっても良かったですよねー。」

ちいさんの後ろのチンチン電車には、5501号、品川行きと書いてありました。今日は、チンチーン、昭和を駆け抜けた一つの音が心の中に蘇ったひと時でした。時には懐かしい車両と再開して、あの頃を思い出してみては?

<都電おもいで広場>
開場時間:土日祝日の午前10時~午後4時
入場料無料

<荒川線関連ページ>
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東京文化会館東京文化会館 (Tokyo Festival Hall) は、東京都台東区上野公園にあるホール。大ホール、小ホールのほか、リハーサル室、会議室、レストラン、音楽資料室を擁する。上野恩賜公園の一角に、1961年4月に開館した。東京都歴史文化財団が管理と運営を行う。建築家前
2007/07/27(金) 16:41:45 | 『ホール』全国一覧。
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