テレコラ、今日も書いてます。注)独断と偏見で、ドラマレビュー等からドラマをレビューしたブログ紹介等になることがあります。

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ちいさん、新橋駅にやってきました。ちいさんの後ろには蒸気機関車が置いてあります。

<新橋駅SL関連ページ>
ウィキペディア//元ページ
こんぺいとう//TOP

「今日は、昔はこういう駅の周りには必ずいらっしゃいましたよねー。何だかお分かりですか?”しゅしゅしゅしゅしゅ!しゅしゅしゅしゅしゅ!”そうなんですよ!汽車ポッポじゃないんですよ。靴みがきなんですよ。」

「昭和の風景を求めて 靴みがき>

昭和20年、多大なる犠牲を払い、長く続いた戦争がようやく終結。それと同時に始まったのが戦後の混乱の時代。着るものも食べるものもままならない人々は、日々の糧を求め街をさまよいました。そんな時代に生まれたのが、”進駐軍”を相手にした”靴をみがく”という仕事。靴みがきを生業としていたのは、当時、就くべき仕事がほとんどなかった女性や子供たち。大きな声を街中に響かせお客さんを求めていました。そして、街に流れていたのはこんな曲

♪東京シューシャイン・ボーイ/暁テル子(昭和26年)

サーさ皆さん東京名物 とってもシックな靴みがき
鳥打ち帽子に 胸当てズボンの
東京シューシャイン・ボーイ

僕の好きなあのお嬢さん 今日はまだ来ないけど
きっと彼女は来てくれる。。。


明るいメロディーに乗せ歌い上げられていたのは、夢や希望を持つこと。明日への思いは、この時代、何よりの活力でした。

<東京シューシャイン・ボーイ関連ページ>
goo音楽


あめりかん・ぱい

「昔はこういう駅の周りには必ず、5人10人並んでいる人がいて、必ずそこには、(靴みがきの)こういう光景が見られたんですが。」

「あー、いらっしゃいました。」

ここで出会ったのは、新橋で今も現役の靴みがきとして働く、沢村チヅさん(85歳)。

<沢村チヅさん関連ページ>
フォトギャラリー・《老いの風景》//TOP
章の船橋日記

(ちいさん)今も見せていただいてたんですけどー。もう、何年くらいこちらでやってらっしゃるんですか?
(沢村さん)昭和25年からですから、もう足掛け57年間、ここに座っております。
(ちいさん)お若いですねー。お元気ですねー。
(沢村さん)若くないですよ!
(ちいさん)はちじゅう・・・。
(沢村さん)ご、になりました。
(ちいさん)全然、そういう風に見えないよ!おかあさん。
(沢村さん)いや、座ってると見えないんですけど。。。

昭和13年、17歳で上京した沢村さん。その6年後に結婚。結婚は戦争の真っ只中でした。しかし、大きな転機は戦後になってからでした。

(沢村さん)主人が昭和26年の1月に亡くなったんですね。それで、昭和25年の病気で倒れてる時に、子供、ちいさいのがちょっと体が弱くて、主人もそんな病弱だったもんですからね、会社勤めたんでは休めませんでしょ。それでねここへ。。。

二人の小さな子供を抱えながら始めた靴みがきの仕事。その日からずっと、変り行く街を見続けてきました。そして、新橋の街を行き交う人々の変化もつぶさに見届けてきました。

(ちいさん)今の若い人よりも昔の人の方が、靴を皆さん磨いて、靴に感心があったように僕は思うんですが・・・。
(沢村さん)そうなんですよ。”足元を見られる”っていうんですね。。。大学を卒業した方なんかは、靴がねーその頃はございませんから。継ぎした靴、皮を裏から張って靴屋さんがミシンで継ぎした靴履いてらっしゃいましたよ。。。それでもきちっと手入れしてねー。

お客さんは、いつしか進駐軍からサラリーマンへ。足元への気配りが芽生えた時代。それは戦後という混乱期が終りを告げた証でもありました。急速に成長する経済。街を行き交う人々の足元には、ピカピカに磨かれた靴がありました。焼け野原にはビルが立ち並び、街には物があふれ、日本が世界の経済大国へと突き進む中、沢村さんはその足元を支えてきたのかもしれません。

(ちいさん)始めた頃ってのはお子さんもいて、御自分のお話でも大変恐縮ですけども、ご苦労なされたんでしょ?
(沢村さん)やはり、同業者がね。50人ぐらいおられました。やはり、子供がたまについてきますと、お客さんもついてくれますでしょ?そうすると、いじめに会いましてねー。厳しかったですよ。

(沢村さん)でもその頃恥ずかしいからねー、わたし、ほとんど皆さん声出して手出して呼ぶけど、お客呼べなかったんですよ。。。今でもできません。

(ちいさん)でももう、この業界でも最長老の方でらっしゃいますでしょ?
(沢村さん)そうです。もう、許可もらった人は、全部皆さん80歳過ぎてから亡くなられたんですよ。
(ちいさん)あーそうですか。じゃー皆さん、こう割りと長生きなさる。
(沢村さん)長生きするんですねー。こういう環境の悪いとこですよね。。。こういう排気ガス。。。暖房冷房ありませんしねー。
(ちいさん)。。。冬なんか大変でしょ?
(沢村さん)そうそう。。。それのが強くなるんですね。

そんな沢村さんが過ごした昭和という時代。国のために生きることが美徳とされた戦時下での青春。それに疑問を挟む余地などなかったそんな時代。そして迎えた戦後の混乱期。沢村さんが生き抜くために磨いていたのは、その技術でした。

(ちいさん)やー、ずいぶん丁寧に、やってもらっちゃって、スニーカーでは無理だと思った、遠慮してたら、こんなにスニーカーでもきれいにしてもらえるんで・・・。
(沢村さん)丁寧じゃなくてねー。
(ちいさん)おかあさんなりの磨き方の、こうコツというか、今までやってきたもので、これだけはこうしてるっていうような方法はあるんですか?
(沢村さん)それはねー、まず、お金いただく時に、お客さん払ってくださるときにね、高いなーと思われるような仕事だけはしないことにしてます。それだけ、心がけています。

半世紀以上(57年間)も続けてきた”靴みがき”という仕事。昭和の街角の風景でもあった沢村さんの人生とは?

(ちいさん)おかあさん長年ね、こういうこの仕事やってて、いろいろご苦労もあったと思うけど、良かったなーと思うことってある?
(沢村さん)そうです。もう、一度はこの仕事をやめようと思ったこともありました。子供が、学校へ入るようになったら、靴みがきの子だって、馬鹿にされ。。。帰って行ったら泣いてね、その時は切なかったですねー。。。父親に死なれて、子煩悩な夫でしたのでねー、それなのに、今度お母さんの仕事で子供が侮辱されてね、泣いて訴えるゆんだー、と思って、その時ほんとは辞めようと思いました。子供のためにねー。おかさんは社長さんと変りないんだからね、ほんと税金と(支払って)、許可証もらってね、働いてるんだからね。ちっとも恥ずかしいことないんだから、その子のお父さんの仕事がなくなったら、お母さんとこ来なさいって言いなさい。仕事教えてあげるから。って言いなさい。だから、泣くことないよ。。。

グスン(´_`。)なんか、涙が出てきちゃうよ。

ちいさん、目頭を押さえてます。

(ちいさん)でも、ほんとにそういうのつらいよねー。
(沢村さん)つらいんですよ。それでねー、”わかった”って言ってね、それから、泣くようなことなかったですよ。お布団入って子供が寝てからボロボロ泣きました。かわいそうにと思ってねー。今、人生の幕閉じたいんですよ。
(ちいさん)あー、閉じたいと言わなくても、やっぱりそれは長年やってらっしゃって、今、そう思えるっていうのは幸せですよねー。
(ちいさん)ほんとねー、もう、何の心配もなくてねー。

戦中戦後、そして経済成長期、激動の時代を間近で見続けてきた沢村さんは、今が一番いいときと言います。その言葉の重さは人生の重みなのかもしれません。

(ちいさん)おかあさんにとって昭和って時代はどんな時代だった?
(沢村さん)昭和は、わたしら波乱万丈でしたね。青春時代は軍歌で育ってきましたしねー。今は懐かしいけれども、振り返りたくない。。。大変でしたー。もう、毎日空襲に襲われてねー。そして、やっと、落ち着いたと思ったら、主人が今度そのねー、病気になり死なれてねー、昭和の時代はほんとに波乱万丈続いてきましたよ。これも運命だと思ってねー。いますけどねー。
(ちいさん)でも、おかあさん、良くがんばったね!
(沢村さん)がんばりましたの。だから今はねー、もう楽になりましたし、精神的にも。。。

昭和の混乱期に生まれ、昭和とともに歩んできた靴みがきという仕事。沢村さんの人生はその歴史そのものでした。沢村さんの変わらぬ笑顔もまた、その昭和の風景でした。

沢村さんが、靴みがきをしている場所。

<靴磨き関連ページ>
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足と靴の救急箱

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2008/12/01(月) 20:10 | URL | #-[ 編集]
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