テレコラ、今日も書いてます。注)独断と偏見で、ドラマレビュー等からドラマをレビューしたブログ紹介等になることがあります。

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「昭和の風景を求めて 千住の象徴・おばけ煙突」

「今日のテーマは、おばけ煙突。何がおばけで、何がおばけ煙突なのか?はい!お分かりでしょうか?」

昭和39年、オリンピックに沸き返る東京で、多くの人の心に残るお化け煙突がその姿を消しました。天高くそびえる4本の煙突は、町の象徴であり、人々の心のよりどころでもありました。でも、何故下町のシンボルなのにお化けなのか?それにはわけがあったのです。今日は、お化けの謎に迫りながら、お化け煙突があった昭和の風景を訪ねます。

さて、ちいさん、お化け煙突のあった千住で生まれ育ったという松田覚太郎さん(64)の案内で向かうことになったのは、4本の煙突が一望できたという場所でした。

(ちいさん)。。。この辺りに、もともと、その、おばけ煙突というのがあったんですか!
(松田さん)ええ、ありました。丁度、鉄塔の左側くらいです・・・。

お化け煙突(正式名称:千住火力発電所)を持つ千住火力発電所が作られたのは、大正15年のこと。水力発電が中心だったこの時代、石炭を燃料とする火力発電は、新たな時代の到来を告げる夢の技術でもありました。当時の最先端技術を集めて作られたこの発電所は、日本最大級の規模と発電能力を誇る、下町っこの自慢の場所。4本の煙突が吐き出す煙は、戦前・戦後を通して昭和の東京を支えてきたのです。

(建設当時は水力発電が主な時代だったので、この発電所は電気が足りない時の予備的な発電所でした。煙突の高さが83.8メートルは、東京タワーが出来るまで東京一の高さでした。)

(ちいさん)何でおばけ煙突と呼ばれたんでしょうか?
(松田さん)おばけ煙突って、4本建ってますねー。だから、距離によってあれですねー。。。見る角度が・・・。。。2本に見えたり、3本に見えたり・・・。

ゼスチャーを交えて説明する松田さんです。そして、ちいさんが用意した割り箸を地面に4本刺し、説明続行です。

見る場所によって煙突の数が、増えたり減ったりするおばけ煙突。その正体は、細いひし形状という、ちょっと意外な煙突の並べ方にありました。ここから見ると4本に見える煙突が、見る方向を少し変えると、たちまち3本に、さらに別の方向から見ている人には、4本の煙突が2本に見えています。そして、こちらから見ると、4本全てが重なり、1本になってしまうのです。平屋が多かった当時の下町では、どこからでも見えた煙突。それが、見る場所によってその姿を変えることから、おばけ煙突と呼ばれました。

(ちいさん)80mクラスの煙突が、にょぼーっと建っていると不気味な感じがしますよね。。。この辺の人は、それを見ながら。。。思い出のようなことありますかねー。
(松田さん)ハヤブサがいたんですよ。。。巣を作ってる。。。(エントツの)真ん中に。
(ちいさん)。。。それをなんで知ってるんですか?
(松田さん)わたし、上がったから。

(ちいさん)いたずらなガキだったんだねー。
(松田さん)そういう時代だったから。

<おばけ煙突関連ページ>
千住物語//TOP

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色あせることのない思い出と共に、心の中に焼き付けられたおばけ煙突がある風景。その勇姿は、今も人々の記憶の中にあります。そして、ちいさんは、おばけ煙突にある思いを託した人を訪ねました。

石坂満さんのお宅の前に行くと、写真が、道行く誰でもが見えるように展示してあります。

「あー、こちらにその、あーありました。ほら!おばけ煙突の写真が。こんなだったんだー。」

昭和の風景を撮り続けた郷土写真家の石坂満さん(85)は、おばけ煙突より少し年上の大正11年生まれ。生まれも育ちも千住という生粋の下町っ子です。

(ちいさん)石坂さんにとっても、この地域のある意味、シンボルマークであったことは事実ですか?
(石坂さん)千住行けば、4本煙突、つうのは、もーほんとに誰でもねー、草加の人も荒川の人も、みんなゆってたんですよ。

(ちいさん)それで、いろんなことがあって、戦争に召集されて行きましたよねー。生きて帰れるということはあんまり考えられないぐらいの覚悟はしていたんですか?

(石坂さん)。。。わたしがね、出発します時にね、(おばけ煙突も)見納めだなー、と、思ってね。これを見られれば、帰って来られるんだな!っていう気持ちで。。。それはね。誰に聞いても、戦友に聞いても、みんな。。。

(ちいさん)。。。率直なところ、4本の煙突を、また、再度、見た時にはどんな思いがしましたか?
(石坂さん)。。。日暮里に着きましてね。ああー、4本煙突が見えたと、始めてね、あ!古里へ、東京へ帰ってきたな!。。。実感がね、やはり、ああいうものが無いと感じないですよ。

石坂さんは、シベリア抑留後の昭和24年に帰国されました。

(ちいさん)それから、写真をお撮りになるのには、何かきっかけがあったんですか?
(石坂さん)。。。昔のものをね、残そうっていう気持ちが昔からあったんですね。。。とにかくね、帰ってきて、どんなに変わったかっていうんで、国内をほぼ回ったんですよ。

戦後の復興期。大きな時代の変化の中。誰も変り行く景色に気をとめる余裕などなかったのかもしれません。しかし、石坂さんは、その風景を留めるためにシャッターを切り続けました。

(石坂さん)。。。(当時)人物を入らない写真を撮ってねー、何撮ってんだ!って言われましたよ。。。自分の一つの歴史としてね、残しておこうとしたものがね。。。(今)みなさんが懐かしがるとは(当時)思えないですね。。。

残すべき歴史は実は日常にある。失われた風景を記憶する一枚の写真が、それを物語っていました。

昭和の激動期を支えてきた「おばけ煙突」。いつしか石炭を燃料とする火力発電は時代遅れとなり、ついに、その役目を終えることになりました。新しい時代へと移り変わった東京オリンピックの年でした。モータリゼーション、そして、電力の大量消費時代。エネルギーの主役は、石炭から石油へとバトンタッチされ、新たな歴史が幕を開けました。失われたおばけ煙突。その勇姿は、今も人々の記憶の中にそびえる昭和の風景。

(長年に渡る酷使と施設老朽化、さらに石炭の質の低下により、昭和33年稼動停止。昭和39年の秋から取り壊しが始まり、11月の末には全くその姿を消しました。)

あなたも昭和の風景を探しに散歩にでかけてみませんか?

<石坂さんの写真ページ>
千住の町並み(下の方にあります)
扇大橋の建設(下の方にあります)
ARA on line(現在というボタンをクリックすると、石坂さんの写真もあります)TOP


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